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今回、アメリカで三日間、向こうの詩歌事情を研究しました。アメリカでは詩歌雑誌は、600ほどあります。これらは主に大学の文学部と関係し、同時に詩歌のコンテスト(募集)によって人々の詩歌を年に一回(一部二回)集めて、1000ドルから2万ドルの賞金を出します。応募者は10ドルから15ドルくらいのエントリー料を払います。
大学の文学部と関わる雑誌は、教授らが審査員、この募集は各種講座(三日で三万円程度の講座、セション、またはワークショップ)ともリンクしています。これらの講座は、学位にもリンクしています。このように、詩歌は、産業化した大学に取り込まれており、詩人は必然的に学位を求めていくような構造になっています。
主な詩人が大学教授であるという日本の今の現代詩の惨憺たる状況は、西洋社会風なのです。こういうことは文化がダメになる兆候でしょう。
なぜ? 文化の基本の問題です。文化は切れそうなところで行うもの、ところが大学教授型は安定型なので、文化の原点から遊離するのです。安定したというのは、つまりサラリーマン生活のようなものでしょう? そこから新しい文化がしぶきますか?
向こうに「ポエッツ&ライターズ」という有名な隔月刊の雑誌があります。これは六万部くらい出ているそうです。しかし、百ページをやや上回る程度で二ドルくらいと安い。売上は、1200万円ですからやって行けない。研究していたら、えらいことがわかりました。この雑誌、各種ファンドや有名出版社から二ヵ月で六千万円程度の寄付金を得ているのです。
売上の五倍の寄付金です。これで納得しました。この雑誌の雰囲気からすると、中心人物たちに生活力がありそうなのです。その根拠は、ナンバーワンの詩歌雑誌という雰囲気によって集めた寄付金で、雑誌の売り上げの五倍にも達するのです。
五行歌の会の二十倍の売上です。『五行歌』は四百数十頁で、月刊の世界最大の詩歌雑誌であり、内容ももちろん世界ナンバーワンですが、この巨大な生産的な雑誌が、「ポエッツ&ライターズ」に比べれば、二十分の一の費用で出来ている、これは日本の社会の培ってきた短詩の伝統的な力と私は自負します。
日本社会は、詩歌人をいじめるけれども、グループは辛うじて自助努力でなら成立させる。詩歌人はアメリカの詩人たちのように、格好をつけなくてもいい。社会からも十分に尊敬される。かりに私が月間、三千万円の寄付を受けたなら、私は詩歌が書けなくなり、そのへんの格好つけの大学教授を集めるかもしれません。
五行歌の会には、不思議に詩歌に関わる大学教授がいません。純粋すぎて近づけないのだと思います。つまりここは、肩書が震えるところです。欧米にも、世界にも、こういう詩歌の会を作って行きたいものと思います。
私の研究の結論は、このような結論となりました。アメリカでは、大学教授たちが詩歌を囲い込み、安定した文化的知識人少数の飯の種にすることに成功しており、その糧は主に金持ち階級の税金逃れのための寄付によっている。格好付け社会の文化的自滅の典型的な道を辿っている。こういうものとなりました。
日本の詩歌社会もどこか似ていますが、その自滅の状況はとくに現代詩の社会に当てはまります。もっと毒を吐きたいけれども、長いので今日はここまでとします。
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