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Re: ・・

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年10月22日(日)14時38分32秒
返信・引用
  > No.3647[元記事へ]

山田さんへのお返事です。


> >「隹スイ」 <尾のみじかい鳥>


瑞鳥・・・端の方にある星座     角?・・・求める・狩る?
うずら・・・尾は短い・・・隹(トリ)

求める
「隹(とり)+芻(若草)」の会意形声。若草を細かく切ってエサにするニワトリの幼鳥(ひよこ)。ニワトリに限らず、鳥のひよこをいう。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/89a2638d0608df43424bb61ba224548e
芻(シュ・ス)」の形声。シュ・スは須シュ・ス(求める・必須)に通じ、走らなければならないこと。貴人や目上の人が来たとき、小走りに移動して進行を妨げないことをいう。また、趣シュ・ス(おもむく)に通じ、目的に向かってゆく意となった。発音は、シュ・ス⇒スウに変化。

ウズラの雛, w, ウ, u・・・禹(ウ)?
古代エジプト文字のヒエログリフでは、 うずらの雛を象り『u』(偶然、ローマ字でうずらの『う』)を意味して、フェニックス=不死鳥  ...

ウズラに 変身・・・アスティアリア
ギリシア神話の星空の女神アステリアAsteria」(ウズラに 変身し、後に島に変わった、女性名アスティアリア、男性名アステリウス。https://ameblo.jp/sirayamatu-ka/entry-12183203928.html
太陽神アポロンと月の女神アルテミスの郷となったと伝えられています。もちろん鶉にまつわる話は西洋ばかりでなく、東洋においても沢山神話や伝聞で残っています。例えば古代中国では、鶉が怪鳥化して鳳凰や不死鳥になったという伝説を残しています。「鳳」と「凰」はつがいで、仲睦まじく「平和」「善政」「愛」の象徴とされてきました。めでたい事があった時にだけ姿を現す『端鳥』であると、中国最古の辞書に載っているそうです。

ヒエログリフのM・・・砂漠のフクロウhttp://mphot.exblog.jp/17839288/
M・・・W
ヤコブとウズラの関係は、クフとヤコブが同一人物と証明されない限り成立しない。現段階ではまだまだ仮説でしかない。
意外な展開~ヤコブとウズラhttp://www.geocities.jp/atelier_efraym/pyramid7.htm
ウズラの名前は分解すると、神の光を意味するヘブライ語のウズと、エジプト語の太陽であるラーとの合成になっているので、そこからもウズラが選ばれた可能性が出てきます
神の光を意味するヘブライ語の・・・ウズ
光り輝く麦の穂(一等星・・・スピカ)

「寉」は音符でカク、その鳴き声をとるとされます。
『詩経、小雅』には「鶴 九皐に鳴き、聲 天に聞こゆ」とあり、鶴が古くより瑞鳥とされていたことがわかります。https://ameblo.jp/knkrm/entry-12187738458.html
「仙客」とも呼ばれるのは、仙人が乗る鳥と解されたからです。
わが国では万葉の頃から「田鶴(たづ)」との表記が見られ、多く歌語として用いられています。

おとめ座http://mirahouse.jp/begin/constellation/Virgo.html
おとめ座 は,天秤で善悪を量る正義の女神アストラエア,または,麦の穂を持った農業の女神デメテル,あるいはその娘ペルセフォネの姿であると言われています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC
鉄や金などの地下資源を手にするようになった人類は、文明や経済を発達させ、所有欲に駆られて土地の私有や海外遠征を始めた。
アストライアーは、神々の中で最後まで地上に留まって人々に正義を訴え続けたが、この時代に至り、遂に、欲望のままに行われた殺戮によって血に染まった地上を去った。
そして彼女は天に輝く星となり、それ故「星乙女」と呼ばれるようになった。現在その姿はおとめ座とも呼ばれている。また、善悪をはかるために所持している天秤がてんびん座になったとされている。
善悪をはかる
神と人間がともに暮らしていた時代から、徐々に人間が堕落して神々が離れて行って しまうところまで、天秤はずっと見ていました。https://uranailady.com/shinwa/tenbin.html

有翼 の女神として描かれます。http://www.h6.dion.ne.jp/~em-em/page197.html
春の夜空を彩る代表的な星座の1つに乙女座があります。全天で2番目に大きな星座で、美しく光り輝く麦の穂(一等星スピカ)を左手に握った有翼の女神として描かれます。
  この女神が誰であるのかについては3つの説があります。まず1つ目は「農耕の女神デメテル」説。女盛りの母神であるデメテルは乙女ではありませんが、麦を標徴物とする女神です。2つ目は、デメテルの娘神の「豊饒の女神ペルセポネ」説。冥王ハデスの妃である彼女も厳密に言えば乙女ではありませんが、何といっても「コレ(ギリシア語で「娘・乙女」の意味)」という別名を持つ女神なので、乙女座のモデルとしては妥当でしょう。

ヨク
翌とはhttp://dic.nicovideo.jp/a/%E7%BF%8C
翼と通じて、つばさの意味、助ける意味がある。一方、翼は書経で翌の意味で使われている(翼日)。
昱も翌・翊と同じ字であったが、その後、別の意味も持つようになった。白川静によると、翊・翌は甲骨文で祭日の名前として用いられ、五祀周祭の中の三日続いて行われる祭の、肜日の次の日が翌日であるため、明日の意味となったという。
ヨク
?はいぐるみで鳥を射つという字で弋の繁文。
弋とは、杙(くい)や繳(いぐるみ)
いぐるみ、狩る、杙(くい)。(?と通じて)黒。また?と通じる。http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%BC%8B
狩る
狩狩り(刈り)・・・ 測量  ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4114
甸(かり) 古代巴国古代の四川省は、三星堆遺跡で有名だが、最近は金沙遺跡や成都 商業街船棺遺跡が発見されるなど、 http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/2815/?reverse=0&fontsize=1&TEACUPRBBS=5b53cb06983710d96ce8158af3a2e0f3
甸 狩り場?「釣台」曹魏の文帝の九華台http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/4085
禽(きん:鳥獣地盤の内側から八干、十二支、 ...http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/2566
、「いぐるみ」という紐の ついた矢を表す。 ... が「円」の中心で「×」交わる(四方からの距離が同じ=正確。 http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/3556

式は法式の意味となり、「のっとる 規範とする」の意味となる
巫祝が持つ呪具弋は「射包みhttp://seiga.nicovideo.jp/seiga/im4589954
いぐるみ(射包み)
繳 シャク・キョウ  糸部http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/62622437a12161edd4d070c00e86eaeb
解字 「糸(ひも)+敫(とびでる)」の会意形声。紐が飛び出る意で、「いぐるみ(射包み)」の矢についている紐をいう。射包み(弋射ヨクシャ)とは、飛んでいる鳥を捕らえるための仕掛けで、矢に糸(紐)をつけて発射し,鳥に当たると糸がからんで飛べなくなるので捕らえる。繳は猟に使うので、絹糸をより合わせて強くしてある。

この星座の中に秋分の日の太陽が位置する秋分点が
天秤座は乙女座の正義の女神アストラエアの持ち物とされていますが、もともとは、この星座の中に秋分の日の太陽が位置する秋分点があり、昼夜の長さを等しく分けていたところから天秤の名が付けられたともいわれています。

蠍座にも書きましたが古代ギリシャ時代の末頃 までは、天秤座は独立したものではなく、蠍座の一部だったといわれ、? その名残としてα星とβ星には名前がついています。
てんびん座の神話http://tigaku.com/astronomy/astro_mythology/summer/Libra.html
 また、他にも別名がありα星は「キファ・アウストラリス」、意味は「南の皿」、β星は「キファ・ポレアリス」、意味は「北の皿」
蠍座の一部 てんびん座
>天秤座は乙女座の正義の女神アストラエアの持ち物

東方七宿・青竜 (せいりゅう)・・・現在のさそり座のS字カーブと,それに続くてんびん座,おとめ座の領域を巨大な竜の姿に当てはめて,星宿名がつけられています。
黄道二十八宿を星空にたどる http://www.ne.jp/asahi/stellar/scenes/china28/index.html
黄道12星座は,太陽が12ヶ月かかって動く黄道を12等分したひとつひとつに当てはめたものです。これに対して二十八宿は,月が27.5日かけて天球を1周するとき,一晩ごとに1つの「星座=星宿(せいしゅく)」を移動するように割り振られたものです。黄道12星座の出発点は春分点(現在のうお座)ですが,二十八宿の起点は秋分点に近い「角宿(かくしゅく),おとめ座中央部」にあります。
 この二十八宿は,太陽・月・惑星の位置と動きを表現することに用いられ,当時の天文学上も,非常に重要なものであったようです。それぞれの星宿の中で,西端に位置する比較的明るい星を「距星(きょせい)」といいます。そして東隣の距星との間の領域を,その距星の名前を付けた「宿」と呼んでいるわけです。

角宿は東方を守る霊獣青竜の角に当たり、司法、戦争を司る宿といわれ ています。 十二宮の中では、「女宮」に二足、「秤宮」に二足属しています。http://kosei-do.com/27syuku/gaiyou.php?yado=12
二足 +二足

翼の生えた乙女の姿
エジプトでは、オシリスの 神の后女神イシスの姿だといわれ、バビロニアでは女神イシュタルの姿とされました。http://yumis.net/space/star/vir.htm
日の周期の猛烈なスピードでぐるぐるとまわりあっているという星です。
 北斗七星の柄のカーブをそのまま延ばして、おとめ座のスピカと、うしかい座のアルクトゥルスをつなげて出来る曲線を 『春の大曲線』, おとめ座のスピカと、うしかい座のアルクトゥルス、しし座のデネボラをつなげて出来る三角形を 『春の大三角形』といいます。
『春の大三角形』

位置や方角を求め
太平洋や大西洋などの海を渡った人たちも星の位置を頼りに自分 たちが今いる位置や方角を求め航海したのだろうと考えられています。http://blog.goo.ne.jp/pmcorp/e/9153987ca79d61f688e596887bc39e02
星座の由来については、今から約5000年以上前にさかのぼります。
紀元前3000年前、メソポタミア地方(現在のイラク付近)バビロニア地方に住んでいた羊飼いたち(カルデア人)は
羊の番をしながら夜空を見上げ、明るい星に名前を付けたり、星の並びを線で結んで、動物や神々の姿などの形を描いていました。



>
> 隺
>
> 隺とは、硬い、高く飛ぶという字である。
>
> 〔説文〕には「隹の上りて冂より出でんと欲するに從ふ」とあり、隹+冂の会意で、冂から飛び出ようとする意とある。ほかに逆に冂で隹が飛ぶのを抑えこもうとする意とする説(白川静)
>
> ・・
>
> 花咲て七日隺みる梺かな
>
 
 

・・

 投稿者:山田  投稿日:2017年10月21日(土)20時52分3秒
返信・引用
  >「隹スイ」 <尾のみじかい鳥>



隺とは、硬い、高く飛ぶという字である。

〔説文〕には「隹の上りて冂より出でんと欲するに從ふ」とあり、隹+冂の会意で、冂から飛び出ようとする意とある。ほかに逆に冂で隹が飛ぶのを抑えこもうとする意とする説(白川静)

・・

花咲て七日隺みる梺かな
 

鬱蒼・・・はかる・・ 鈞 キン・ひとしい  

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年10月16日(月)19時32分37秒
返信・引用
  紀元前4000年-3000年頃の支石墓?魏石鬼窟・・・両面宿儺

>鬱蒼としてこの向こうの山が塩ノ山らしい。・・

「鬯チョウ」 <におい酒> と 「鬱ウツ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e82d7bb515aa7e1f20e7264e83690233
解字 甲骨文・金文とも、香りをつける香草を酒壷に浸している形の象形。篆文で、「※(酒に入れた香草)+凵(うつわ)+ヒ(器台)」の形になった。におい酒を表す。
意味 (1)においざけ(香酒)。黒きびを原料としウコン草をまぜてかもした酒。祭りで神をよぶのに用いる。「鬯人チョウジン」(鬯酒を神に供える人)「秬鬯キョチョウ」(黒黍きび(秬)を原料にした、におい酒) (2)香草の名。ウコン草。(現在のウコンでなく別の香草と思われる)
イメージ  「におい酒」 (鬯・鬱)
音の変化  チョウ:鬯  ウツ:鬱
におい酒
鬱 ウツ・ふさぐ  鬯部ちょう
解字 篆文は、「林(はやし)+缶(うつわ)+冖(ふた)+鬯(におい酒)+彡(香りが立ち込めるさま)」の会意。この字は二種の意味がある。一つは林を取り去った意味で、香りが立ち込める匂 い酒に、ふたをした缶の意で、ふさぐ・ふさがる意。もう一つは、林を加えた意味で、におい酒が盛んに香るように木々が盛んに茂る意で、しげる意とさかんなさまを表す。複雑な字なので語呂合わせで覚えると書きやすい。
意味 (1)ふさぐ(鬱ぐ)。ふさがる。こもる。気がはればれしない。「憂鬱ユウウツ」(気がふさぐこと)「鬱血ウッケツ」(静脈の血が体の一か所に異常にたまる状態) (2)しげる。こんもり茂る。「鬱蒼ウッソウ」(青々と盛んに茂る) (3)さかんなさま。「鬱勃ウツボツ」(満ちた意気が外にあふれるさま) (4)「鬱金ウコン」とは、ショウガ科の多年草。根茎を止血薬・香料・カレー粉などの原料とする。根茎を利用する草であり、におい酒にいれた香草とは別の種類と思われる。
覚え方 きかん気は(木缶木ワ)罰点(X‥‥)受けて(凵)悲惨(ヒ彡)なり 憂鬱
                                長崎あづま『漢字川柳』論創社より
鳥は神意の媒介者・・・隹・・・推し量る

建御雷之男神と天鳥船神は、出雲国の伊耶佐の小浜に降りてきて、剣を抜き逆さまにし 波頭をあぐらをかいて、大国主神に問うた。http://www.plan.gr.jp/kodai/kojiki23.htm
伊耶佐(いざさ)の小浜(現在の稲佐の浜)
稲佐の浜. 島根県 出雲市 大社町杵築北 2844-53. 緯度: 35.400325 経度:132.671932. http://tower.30maps.com/list/wide?tag=%E5%B2%A9%E7%A4%81&p=6

伊那佐山」 と「稲佐浜」の「弁天島」を、地理院地図上で繋いでみると、そのライン近辺に、次々と 重要な聖地が現れる。 .....
内宮の内宮の磐座と出雲の弥山を繋いだラインの妙味と出雲の弥山を繋いだラインの妙味http://blog.livedoor.jp/omtakebe/archives/cat_165029.html?p=2
座クラ
「くら」は、倉庫 の「蔵」と、牛馬に荷を乗せる「鞍」と、目が暗いの盲目の「くら」等が有るが、意味が 分からず ...http://star.ap.teacup.com/170606/182.html
、「座」が最初に有って「座・くら」【①物をのせる所。物をのせる台。「御手座」②すわる場所。座席。「天の磐座」「高御座」】と載っていて、神様を祭る台座の意味がある事が判明した。
物をのせる台・・・大きい机の意「啼」 ・・・Π(パイ)
ささげものを載せる大きい机の意「啼」 解字:形声。意符の口(こえ)と音符の帝(なみだ の意)とから成る。涙を流して泣く意。 几(机)の形 「Л=Π=パイ」 燭台と ...http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1477
倉 クラ 冥   幽 ( くら )http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/1493

クラ
倉は「くら」の形を表した象形文字の音符だが、「くら」のイメージで使われるのは艙のみで、残りはすべて、ソウの発音からくる形声字である。
「倉ソウ」 <くら>
倉 ソウ・ショウ・くら  人部ひとがしら http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/3824cb3de6b9b8f1848ee29316f43e34
解字 穀物をしまっておく「くら」の形の象形。甲骨文・金文は上にA字形の屋根があり、その下に戸を描く。一番下の口は、くらの土台である[甲骨文字小字典]。篆文と現代字は、戸の柱が口の横まで伸びたかたち。また、怱ソウ(あわただしい)に通じ、あわてる意もある。
意味 (1)くら(倉)。物を入れておく建物。「倉庫ソウコ」「船倉センソウ」 (2)にわかに。あわてる。「倉卒ソウソツ」(あわただしいこと) (3)あおい(=蒼)。「倉海ソウカイ」
イメージ  「くら」 (倉・艙)
       「同音代替」 (創・瘡・愴・槍・蒼・滄)
音の変化  ソウ:倉・艙・創・瘡・愴・槍・蒼・滄
く ら
艙 ソウ  舟部
解字 「舟(ふね)+倉(くら)」 の会意形声。船の内部のくらになっている部分。
意味 ふなぐら。中央部の船室。「艙底ソウテイ」「艙間ソウカン」(船室)

蒼 ソウ・あおい  艸部
解字 「艸(くさ)+倉(ソウ)」 の形声。草の深い緑色をソウと言い、藍色と緑色を包括していう。
意味 (1)あおい(蒼い)。あお(蒼)。草のような深い緑色。こい青色。「蒼穹ソウキュウ」(あおぞら)「蒼白ソウハク」(顔色が青ざめて血色のわるいこと) (2)しげる。草木がしげる。「蒼蒼ソウソウ」(あおあおしている)「蒼茫ソウボウ」(青々とひろいさま)「蒼海ソウカイ」(=滄海)(3)草木があおあおと茂る意から、多くの人民にたとえる。「蒼氓ソウボウ」(人民。たみくさ。=蒼生)
あおい
葵 キ・あおい  艸部
「三つ葉葵」(徳川家の家紋)「葵祭あおいまつり」(京都の下鴨神社と上賀茂神社で5月15日に行なわれる例祭。牛車、勅使、供奉者の衣冠などを葵の葉で飾ることからこの名がある) (2)大きな花が咲く草本植物。「向日葵ひまわり」 (3)蒲葵ビロウとは、ヤシ科の高木。まるい葉でうちわを作る。「葵扇キセン」(ビロウの葉のうちわ)
はかる
揆 キ・はかる  扌部
解字 「扌(手)+癸(はかる)」の会意形声。手で長さをはかること。また、推し量る意ともなる。
意味 (1)はかる(揆る)。はかりしる。「揆度キタク」(はかる。はかりかんがえる) (2)はかりごと(揆)。やりかた。「一揆イッキ」(はかりごとをして一つにまとまる。また、百姓一揆の略)「百姓一揆ヒャクショウイッキ」(農民の武装蜂起)
「癸キ」 <はかる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/678320a2b13b7445f29d0477a3305280
推し量る
推 スイ・おす  扌部
解字 「扌(手)+隹(スイ)」 の形声。スイは出スイ・シュツ(でる)に通じ、手を出して押すこと。
意味 (1)おす(推す)。おしだす。おし動かす。「推進スイシン」 (2)うつる。移り変わる。「推移スイイ」 (3)おしはかる。「推察スイサツ」「推量スイリョウ」
「隹スイ」 <尾のみじかい鳥>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/aef4660673f11d3ba89edb3b3bb4491b
解字 尾の短いとりを描いた象形。ひろく、とりを意味する。また、古くは「これ」の意味の代名詞として仮借カシャ(当て字)された。この意味は「維」の字に残っている。古代の中国では、鳥は神意の媒介者と考えられ、鳥を使った占いも行なわれた。隹を音符に持つ字は多いが、「とり」「とり占い」以外は、他の文字の発音を利用した形声文字である。
意味 (1)とり(隹)。ふるとり(隹)。尾の短い鳥の総称。 (2)ふふどり(カッコウの古称)。きじばと。
イメージ  「とり」(隹・維)
       「とり占い」(進・誰・唯・雖・惟・讐)
       「同音代替」(帷・推・錐・椎・碓・堆・稚)
音の変化  スイ:隹・誰・雖・推・錐  イ:維・惟・帷
        シュウ:讐  シン:進  タイ:堆・碓  チ:稚  ツイ:椎  ユイ:唯

すくい取
屯倉(みやけ)https://kotobank.jp/word/%E5%B1%AF%E5%80%89-139516
収穫物をたくわえる倉庫から出た語。のち には収穫物を得る土地や,これを耕作する田戸,田部までをも含めるようになった。
【国造】より
…《隋書》は1軍尼に10伊尼冀(いなぎ)が属するとも記す。斉一に1:10であったとは考えられないが,多くの国造国に稲置(いなぎ)が管掌している幾つかの屯倉(みやけ)が設定されていたと考えられる。これら屯倉は本来国造領の中から献上される形で設定されたものである。…
いなぎ【稲置
大化改新以前,倭(やまと)王権が置いた地方官職。《日本書紀》成務5年条に〈諸国に令(みことのり)して国郡に造長を立て,県邑に稲置を置く〉という表現がみられ,一方《隋書》東夷伝倭国条の〈軍尼(くに)一百二十人有り,猶中国の牧宰のごとし,八十戸一伊尼翼(冀)を置く,今の里長の如きなり,十伊尼翼一軍尼に属す〉の記事から,クニ(国造(くにのみやつこ))―イナギ(稲置)の上下の統属関係を推定されることがある。

稲 トウ・いね・いな  禾部  http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/83267b209eb1eeef85c7b43288ea7a2d
舀 ヨウ・(トウ)  臼部
解字 篆文は、中に穀物などをいれて搗く道具である臼(うす)から、爫(上からの手)で中のものをすくいとる形。何をすくい取っているか描かれていないが、稲の金文をみると米をすくっていることがわかる。収穫した稲の籾(もみ)を臼でついて精白をした米を取り出しているところ。舀は、「とりだす」「米を精白する」イメージをもつ。発音はヨウであるが、組み合わせ字になると、なぜかすべてトウになるのが不思議である。
意味 すくう。くむ。
イメージ  臼から米を「とりだす」 (搯・鞱)
       「米を精白する」 (稲・蹈)
       「同音代替」 (滔)
音の変化  トウ:搯・鞱・稲・蹈・滔

匊(まるく包む)・・・鈞 キン・ひとしい  金部
鈞 キン・ひとしい  金部
両方に刃・・・等しい?
籾<国字>もみ米部籾解字「米(こめ)+刃(は)」の 会意。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/499f825470998417cac987a7b6943e70
解字  刀トウとは、やいば(刃)が片側だけについているものをいう(両方に刃があるのは剣ケン)。刀のやいばに相当する部分に丶の記号を付したのが刃で、やいばの意味を示す指示文字。

精白https://kotobank.jp/word/%E6%BC%82%E6%B3%8A-613503
所を定めずさまよい歩くこと。さすらうこと。流浪。

すくい取・・・均等に分ける?
掬い取る(すくいとる)の意味
2 雑多なものの中から選び取る。 注意深くより分ける。https://dictionary.goo.ne.jp/jn/266028/meaning/m0u/

「匊キク」 <まるく包む> と 「菊キク」 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/64d619004801bcf66e89dca3c8b589cf
解字 金文・篆文とも、「米(こめつぶ)+勹(つつむ)」 の会意。勹ホウは、人が身体をまげたかたちで、つつむ意。これに米を合わせた匊キクは米をつつむようにすくいとる形。掬キク(すくう)の原字。単独では使われないが、「まるく包む」イメージをもつ。
意味 すくう。
イメージ  「まるく包む」 (菊・掬・鞠・麴)
音の変化  キク:菊・掬・鞠・麴

匊(まるく包む)」
鈞 キン・ひとしい  金部
むらなく行きわたる
鈞 キン・ひとしい  金部
解字 「金(金属)+匀(むらなく行きわたる)」 の会意形声。匀は銅の延べ棒の形。金をつけて意味を確認 した字。一定の形にむらなくゆきわたり重さが同じなので、重さの単位及びおもりの意となった。
意味 (1)中国古代の重さの単位。30斤。周代の1鈞は、7.68kg。 (2)おもり。「鈞石キンセキ」(おもり。1鈞は30斤、1石は4鈞) (3)ひとしい(鈞 しい)。(=均しい) (4)ろくろ。
均 キン・ひとしい・ならす 土部
解字 「土(つち)+匀(むらなく行きわたる)」 の会意形声。土がついた均は、表面にむらがない意となり、土のデコボコをならして平らにすること。転じて、公平にする・平均する意となる。また、匀キンの意味である重さ・形がひとしい意としても使われる。
意味 (1)ならす(均す)。公平にする。「均一キンイツ」「平均ヘイキン」 (2)ひとしい(均しい)。同じ。「均等キントウ」「均分キンブン」「均田キンデン」(耕地を均等に分ける)

(3)あおい(=蒼)。
しまっておく「くら」
 「倉ソウ」 <くら>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/3824cb3de6b9b8f1848ee29316f43e34
解字 穀物をしまっておく「くら」の形の象形。甲骨文・金文は上にA字形の屋根があり、その下に戸を描く。一番下の口は、くらの土台である[甲骨文字小字典]。篆文と現代字は、戸の柱が口の横まで伸びたかたち。また、怱ソウ(あわただしい)に通じ、あわてる意もある。
意味 (1)くら(倉)。物を入れておく建物。「倉庫ソウコ」「船倉センソウ」 (2)にわかに。あわてる。「倉卒ソウソツ」(あわただしいこと) (3)あおい(=蒼)。「倉海ソウカイ」
イメージ  「くら」 (倉・艙)
       「同音代替」 (創・瘡・愴・槍・蒼・滄)
音の変化  ソウ:倉・艙・創・瘡・愴・槍・蒼・滄

ふなぐら。中央部の船室・・・
中央
屯倉
中央 部を東西に貫通する出雲道に沿って設置
白猪屯倉推定地 しらいのみやけすいていちhttps://kotobank.jp/word/%E7%99%BD%E7%8C%AA%E5%B1%AF%E5%80%89%E6%8E%A8%E5%AE%9A%E5%9C%B0-1341835
古代の寺院址はほぼ国の中央部を東西に貫通する出雲道に沿って設置され,東から江見廃寺,大海廃寺,楢原廃寺,久米廃寺,大庭廃寺などの遺構が確認されている。久米廃寺は久米郡衙に隣接して構築され,大庭廃寺は《日本書紀》の欽明16年7月条にある蘇我稲目らによって設置された白猪屯倉(しらいのみやけ)推定地(現,真庭郡久世町五反)にあり,高句麗系様式の瓦を出土する。古代の特産物として鉄,銅があり,728年(神亀5)大庭・真島2郡の庸米を鉄に換えて貢輸し,877年(元慶1)2郡から銅が貢進されている。…

古代日本の地勢観とレイライン.... その重要性故に、第22代清寧天皇の時代では、近隣に縮見屯倉(しじみみやけ)と 呼ばれる朝廷が直接管理した倉庫が作られたほどです。http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=234
船木
船木、「ふなき」は、舟木、布奈木、など様々な書き方がありますが、なぜ「 ふなき」と呼ぶのか、その名称がどこからきたのか、言葉のルーツには定説が ありません ...

舟木(船木)―三野(美濃)における「王領」と「渡来人https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/faculty/gyoseki_tajima.html

船来山古墳群分布図(赤い点がすべて古墳). 船来山古墳群は、 本巣市の中心部にある船来山という山に3世紀から7世紀まで役400年以上も古墳が造 られた古墳群です。http://www.city.motosu.lg.jp/life/kyouiku/funakiyama/
東海地方最大級の古墳群です。7世紀までの約400年以上古墳が造られ続け、複数の首長や様々な出自を持つ有力家族層にとって造営された可能性のある古墳群です。
東西約2km南北約600m
船来山古墳群は、本巣市の中心部にある船来山という山に3世紀から7世紀まで役400年以上も古墳が造られた古墳群です。現在までに発見された古墳は290基にものぼります。船来山は東西約2km南北約600mの細長い独立した山で標高115mから64mの小高い山ですが、山頂から山麓に至るまで古墳が造られています。

岐阜県本巣 市上保35.4632335, 136.6749241

わが国の最初の史書『古事記』や『日本書紀』を開いてみると、古代天皇と美濃・飛騨両国、つまり岐阜県は意外に深いおつき合いがあったことに驚くのである。
この王は本巣国造や長幡部連の 祖といわれ、美濃国の中央部(今の岐阜市・本巣郡あたり)を支配していたとされている。http://www.gpc-gifu.or.jp/chousa/infomag/gifu/87/gifu2.html
神代を経て初代神武天皇から数えて9代目が開化天皇である。岐阜市岩田に「伊波乃西神社」が鎮座している。古代神社のランクづけで有名な『延喜式神名帳』(延長5年・927)にあげられている神社で、祭神は開化天皇の皇子・彦坐王である。神社の近くに彦坐王を葬ったという墓があって、御陵として宮内庁が管理している。この王が、隣国近江の豪族息長氏-後に仲哀天皇の皇后・神功皇后を出した氏族-の水依姫をめとって、生まれたのが神大根王(神骨・八瓜入日子王)である。
 この王は本巣国造や長幡部連の祖といわれ、美濃国の中央部(今の岐阜市・本巣郡あたり)を支配していたとされている。つまり、現在の岐阜県の心臓部が天皇ゆかりの豪族によって治められていたというわけである。
 それから2代あとが、12代景行天皇である。天皇は皇子・日本武尊(小碓命)とともに東奔西走して、皇威を大いに広めたが、艶福家でもあった。ある年の春、天皇は美濃の国の「泳宮」(可児市久々利)に行幸したとき、この地方の豪族、祟神天皇の皇子・八坂入彦の子の姉妹が美しいと聞いて、泳宮の池に見事な鯉をたくさん放ち、その鯉をオトリに姉妹をおびき寄せて、天皇の妃になるよう説得した。が、弟姫は断り、姉の八坂入姫が妃になり、生まれたのが次の13代成務天皇である。この久々利の地にも八坂入彦皇子の墓があり、やはり御陵として宮内庁が管理している。真偽のほどは別として、彦坐・八坂入彦両皇子の御陵が美濃にあるということは、美濃の国と天皇一族が深い関係にあったことをうかがわせるのである。

16代仁徳天皇65年のことである。当時、飛騨の国に、身一つに両面があり、四手四足で超人的な能力を持つ「両面宿儺」と呼ばれる異形人が住んでいて、住民を苦しめ、天皇に反抗していたので、天皇は和珥氏の祖・難波根子武振熊なる人物を派遣して討ち取ったという出来事があった。この話については地元の飛騨の国ばかりでなく、美濃の国にも伝説が残っていて、両面宿儺に対して史書は鬼賊といっているが、地元の伝説はすべて王者か聖者として崇敬している点が大きい違いであり謎である。さらに伝説では両面宿儺は服従のしるしとして、位山のイチイの木で作った笏を天皇の即位式に献上したと伝えられ、事実、近いところでは、明治・大正・昭和・今上の各天皇の即位式にイチイの笏が献上されている。

両面宿儺(りょうめんすくな)は上古、仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人 、鬼神である。『日本書紀』において武振熊命に討たれた凶賊とされる一方で、岐阜県の 在地伝承では毒龍退治や寺院の開基となった豪族であるとの逸話ものこされている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%9D%A2%E5%AE%BF%E5%84%BA
日本書紀』仁徳天皇65年の条に両面宿儺が登場する。
六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其為人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之
(現代語訳) 六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。
両面宿儺は、計八本の手足に首のない二つの顔という奇怪な姿で描写される。神功皇后に滅ぼされたとされる羽白熊鷲[1]や、『日本書紀』『風土記』にしばしば現れる土蜘蛛と同様、その異形は、王化に服さない勢力に対する蔑視を込めた形容とも考えられる。仁徳記の記述は一般に、大和王権の勢力が飛騨地方の豪族と接触した、5世紀における征服の事実の反映とされている[2]。また、「ひかがみ」「かかと」が無いという描写から、脛当てを着け、つまがけを履いた飛騨の山岳民が想像されることもある[3]。

一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。・・・等しい。」均 等

千光寺を開いた。このとき山頂の土中に石棺があり、法華経一部・袈裟一帖・千手観音の像一躯を得たという[4]。同じく丹生川町日面の善久寺の創建も両面宿儺大士と伝え、本尊釈迦如来のほかに両面宿儺の木像を安置する[5]。また、位山(高山市一宮町)の鬼「七儺」を、両面宿儺が天皇の命により討ったともされる[6]。位山の付近には飛騨一宮水無神社があるが、享保年間に編纂された『飛州志』では神宝の一つとして「七難の頭髪」を挙げ、神主家の説として鬼神七難が神威により誅伐された伝承を記す[7]。
両面宿儺https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%9D%A2%E5%AE%BF%E5%84%BA

つれづれ 飛騨の両面宿儺http://higanzakura.blog107.fc2.com/?mode=m&no=89
平湯から高山へ通じる国道158号の丹生川町小野の辺りに、知る人ぞ知る日輪神社がある。
平湯からだと国道の左側を少し入った所で、以前から日本のピラミッドとか、パワースポット、レイライン(風水でいう龍脈)などといわれるところだ。
「日輪神社」という名前は、日本中の他のどこにもなく、ここだけであり、まさに古代太陽信仰の跡ともいわれる。
飛騨には、その他「位山」などピラミッドといわれる所や、環状列石など巨石文化の遺跡などといわれるものが結構ある。
日輪神社は、両面宿儺が住んでいたという飛騨鍾乳洞の近くなのに、パワーは効かず、宿儺は大和朝廷に敗れてしまった。
そして、今、日輪神社に祀られているのは、天照大神すなわち大和朝廷の祖というわけである。
ちなみに、八面大王が隠れたという魏石鬼の窟も巨石文化であるドルメン(支石墓・埋葬地の周りに柱となる石を立て、その上に巨大な扁平の天井石を載せるもの。また、巨石建造物全般をドルメンということもある)である。

魏石鬼窟(ぎしきのいわや)は、長野県安曇野市穂高有明宮城にあり、坂上田村麻呂に 対抗するために八面大王がたてこもったといわれる岩屋である。 有明山の麓に位置する 。 魏石鬼窟は古墳であり、考古学上では有明D-1号墳と称する。
魏石鬼窟は古墳https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E7%9F%B3%E9%AC%BC%E7%AA%9F
長野県安曇野市穂高有明宮城
北緯36度23分6秒
東経137度49分22秒
円墳(ドルメン式古墳)
6世紀後半

支石墓(しせきぼ)は、ドルメンともいい、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種である。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%B3

筑紫島(=九州)も四つの顔 が ...http://nihonsinwa.com/page/1383.html

国境線で二分割
つまり、九州の地図を国境線で二分割して、それぞれを神と見立ててオオナムチ神とスクナヒコナ神と名づけ、さらに、その二神をくっつけて一つの神とみなして,両面宿儺とかオオナムチスクナヒコナ神と呼んだのが、この地図なのです。
両面スクナとはhttp://www.ict.ne.jp/~igaokada/newpage%202.files/page3.html

両面宿儺の謎が解けた !!http://www.ict.ne.jp/~igaokada/newpage%202.files/

こんな古い時代に、これほど正確な地図があったのです。http://www.ict.ne.jp/~igaokada/newpage%202.files/page2.html
この図からオオナムチ神とスクナヒコナ神が創造されたと考えられるので、オオナムチ・スクナヒコナ信仰の古さを思うと、この地図の作成は8世紀よりさらに何百年か遡ると考えられます。
 

差出の磯

 投稿者:山田  投稿日:2017年10月15日(日)19時51分35秒
返信・引用
  ・・秩父の方から甲州笛吹に入るに雁坂道というのがある。笛吹川がちょうど甲府盆地に流れ込むあたりが差出の磯と呼ばれ海辺のような景観をもつ。正面に富士山がよく見える。酒折宮が近いからヤマトタケは秩父の雁坂道から来たとみるむきがある。多摩の青梅街道から御岳、奥多摩、大菩薩峠から塩山に入る道も甲州裏街道と呼ばれヤマトタケが歩いたとみる。奥多摩から大菩薩嶺を大きく西北に迂回して柳沢峠に出るのが今の青梅街道。この峠も富士山が堂々とみえる。ここを降れば塩山。甲州の鬼門にあたる。

・・差出の磯から雁坂道を笛吹川に沿って登りここいらも富士はよく見える。ほどなく雁坂道と分かれるあたりが信玄の菩提寺恵林寺がある。ここもやや高地です。ここからまっすぐ南下して塩山市街にむかう。降り切ったあたりに向嶽寺があった。鬱蒼としてこの向こうの山が塩ノ山らしい。・・よくわからなかった。

・・釈迦堂遺跡は中央高速道の休憩エリアに博物館があって立ち寄った憶えがある。紹介の画像のように華々しい縄文遺跡です。

・・塩ノ山は謎ですね。来年探索してみたい。
 

「志ほの山 差出の磯に住む千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく」

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年10月12日(木)11時05分23秒
返信・引用
  釈迦堂遺跡の画像https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%A0%82%E9%81%BA%E8%B7%A1

富士山頂と塩ノ山の山頂を結ぶとhttps://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11480626653.html
ピラミッドには二つのピークがあるという。
この塩ノ山にも二つあって(釈迦堂遺跡からみるとよくわかるらしい)

塩山市の地名の由来にもなったと言われる「塩ノ山」。http://www.ybs.jp/radio/y-index/2012/06/01130000.html
名前の由来はいくつかあって、「四方が良く見える」から「しほうのやま」、塩ノ山」になったという説や、その昔には実際に岩塩が産出されたからという説もあるんです。
富士山
35.699522 経度: 138.719772

塩ノ山
35.711631        138.725686
 

YOUR

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月30日(土)22時09分22秒
返信・引用
  kawakatu - THE SHADOW OF YOUR SMILE https://www.youtube.com/watch?v=LmnejiLlR-M
 

・・

 投稿者:山田  投稿日:2017年 9月30日(土)21時46分18秒
返信・引用
  初雁や二た立ち三たち越の空

足はまっすぐ伸びる → 立つ

足を延ばす → 東風吹けば西へ行き、北風吹けば南へ行き
        西風吹けば東へ行き、南風吹けば北へ行き

・・

武蔵鐙 = テンナンショウ 天南星

天南星とは、魂のエネルギーが、外面だけ、陽の極に向かい始めていることを表す星です。 心の世界を一言で表現すると強気の心でありますが、外面だけの強さとなって現れます。 世の中に一歩踏み出した青年の象徴です。

・・

よみ倦ぬ青梅どきや三国志 
 

足はまっすぐ伸びる?

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月29日(金)22時39分47秒
返信・引用
  「青梅(おうめ)」は「オ・ウ・メ」と読むのか「オー・メ」と読むのか。http://www5a.biglobe.ne.jp/~sunomono/iro0061.html

ουは「オウ」ではなく「ウー」です。http://homepage-nifty.com/suzuri/gg/ggk0012.html

エメ
「好む」という意味の動詞です。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14117884464?__ysp=44Ko44O844OhIOaEmyAg5oSP5ZGz

「アーメン」という言葉は、その ヘブライ語由来の文言で、「その通りに」「まさに」といった意味です。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211175212?__ysp=44Ki44Km44O844Oh44Oz44OY44OW44Or6Kqe

あぶ   み 輪 最高http://8906.teacup.com/toraijin/bbs?
あぶ み
「アブ」は父親を意味し ます。http://meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%94%B9%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86

領主や酋長などの権力者、または神官や僧侶などの聖職者、あるいは長老や年長者といった世俗的人格者 に属する・・・

アブを退治したトンボの逸話http://www3.pref.nara.jp/miryoku/narakikimanyo/tanoshimu/fureai/fureai03/

「ミ」は「~に属する」http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=54
すめらに属する
 

・・

 投稿者:山田  投稿日:2017年 9月28日(木)16時28分19秒
返信・引用 編集済
  >石切剣箭神社は式内社(河内国高安郡二座・小)で、天つ神から十種の瑞宝を授けられ、天磐船に乗って河内国河上の哮峰に天降った饒速日命と、その御子・可美真手命の2柱を祀る、神武よりも先にこの地に天降ったわけで、その哮峰(いがるがのみね・たけるがのみね。生駒山か)に元々は鎮座していたという。

・・石切神社の祭祀は代々、木積氏が司ってきた。
「木積」は、古代天皇の側近として仕えた物部氏の最有力氏族「穂積」から転じたもの。

「新拾遺集」藤原行春

 分けゆけど花の千種のはてもなし秋を限の武蔵野の原

藤原行春は石切剣箭神社の社主。姓は藤原だが物部の木積=穂積の流れ。


・・物部が東国の武蔵野を詠むというのは、何か意味あるのか?


>虐、虎、虚、虜

・・「とらがしら」全体で虎の象形の一部です

とらがしら → とらかしわ → 虎柏

虎柏神社  東京都青梅市根ヶ布1-316
北緯35度48分9.56秒 東経139度16分1.65秒

●正殿(虎柏神社)
大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)
惶根神(かしこねのかみ)
●東相殿(諏訪上下神社)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
八坂刀売命(やさかとめのみこと)
●西相殿(八雲神社)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)


武蔵鐙 ミサシアブミ あふみ → 青梅

夂(あし)+几

虎  「寅イン」 <まっすぐのびる>

金文は、「矢(や)+?(両手)」の会意。両手で矢柄の曲がりを正しまっすぐのばす意。

・・矢は天に向けられ、足はまっすぐ伸びる?
 

夂(あし)+几

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 9月27日(水)11時47分49秒
返信・引用
  「寅イン」 <まっすぐのびる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/1d28d272a1e7b91bc845852b51044261

「卯ボウ」 <二つに分かれる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0fdab5e338a878021ae2e5c21049252c
昴 ボウ・すばる  日部
旄ボウを持つ使節
解字 「日(ほし)+卯(ボウ)」 の形声。ボウは旄ボウ(ヤクの毛を竿頭につけた旗)に通じる。旄ボウはヤクの毛をまとめて丸くした飾りを旗竿の上から5つほど連続して吊りさげた旗。皇帝の使節に任命の印として与えられた。この連続した丸い飾りを星になぞらえ、連続して数個がまとまる星であるスバルに当て、中国で旄頭星ボウトウセイともよばれた。
日本語の「すばる」は、統る(すばる:集まって一つになる)からきており、肉眼で人によって5~7つの星が集まって一つにかたまって見える星の意。日本では通常6個の星が見えるので、六連星(むつらぼし)ともいった。
意味 すばる(昴)。星の名前。おうし座にあるプレアデス星団を昴すばるという。28宿のひとつ。通常5~7つの星がまとまって見える。「昴宿ボウシュク」(すばるの漢名)
5~7つの星

>虐、虎、虚、虜のように、とらかんむりの中に必ず七があります。
また、部首がりっとうの劇にも七があります。
何か意味があるんでしょうか?

七を含めて「とらがしら」ですから必ず含まれているのは当たり前です。この「七」は独立した部分ではなく、「とらがしら」全体で虎の象形の一部です(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1395481548

十本の角と七 つの頭があった獣
黙示録の獣https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E7%8D%A3
、『ヨハネの黙示録』十二章および十三章・・・12  13・・・
・・・156:(13×12)、ルシファー(ラテン語)、会見の幕屋

「虎コ」<とら>と「虐ギャク」<虎がツメを現す>
解字 虎のかたちの象形。甲骨文字は最も写実的に描かれ、金文以降、抽象化されている。現代字は「虍(トラの頭)+儿(人あし)」の形になっている。
意味 とら(虎)。「虎口ココウ」「猛虎モウコ」「虎狼コロウ」(トラとオオカミ。転じて、残忍な者)
イメージ  「とら」 (虎・彪・琥・鯱)
音の変化  コ:虎・琥  ヒョウ:彪  しゃち:鯱

 虐 ギャク <虎がツメを現す>
虐 ギャク・しいたげる  虍部 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/289d48a615a983125bccfae9adfc0137
解字 篆文第一字(六書通字)は、虎が爪(ツメ)を出した形。篆文第二字(説文解字)は、そこに人を加えて虎が人を襲おうとする形。人をむごいめにあわせる意。篆文第一字が現代に引き継がれ、新字体は虎のツメが逆ヨのかたちの虐に変化した。
意味 しいたげる(虐げる)。いじめる。「虐待ギャクタイ」「虐政ギャクセイ」(人民をしいたげる政治)
覚え方 とら(虍)の逆ヨで(E)、虐待うける。
イメージ  「ひどい」 (虐・謔・瘧)
音の変化  ギャク:虐・謔・瘧

9:4 あなたが彼の重荷のくびきと、肩 のむち、彼をしいたげる者の杖を、ミデヤンの日になされたように粉々に砕かれたからだ 。
「苦しみの所に」http://www.logos-ministries.org/old_b/isa6-9.html

ミデヤンの日とは、ギデオンがミデヤン人のバアルの祭壇とアシュラの像を壊したことにより、戦争が起きた事件のことです。ギデオンはまだ臆病で、主に羊の毛と露の奇跡で本当に自分が選ばれているかを試します(士6:37)。そしてミデヤンをいよいよ打つときに、勇士を選別するのです。3万2千の勇士は「おそれおののく者」という区別で2万2千人が減ります。さらに水を飲む様子から1万から3百人に減ります(士7章)。そしてたった3百人でミデヤン人を破るのです。この一連の出来事が「ミデヤンの日」と書かれています。そして新しい預言が与えられます。一人の赤ちゃんが生まれ、主権が与えられ、永遠に続く平和の国を治めるのです。古い時代が過ぎ去り、新しい時代が訪れる…何千年もかかる大きな主の計画は、私たちもまだ最後まで見ていません。永遠に続く、イエス様の支配する国はまだ来ていないからです。もし主の選びの3百人に加えられるなら、私たちは敵を打ち破る瞬間を見ることができます。恐れない心と警戒する心…この2つを保ち、3百人に加えられましょう。
ミデヤンの日 https://blogs.yahoo.co.jp/macschooleph_2000/3076757.html?__ysp=44Of44OH44Ok44Oz44Gu5pel

近年の聖書研究家の多くは、”燃えるしば”の話はミデヤン人がJHWHという名の火 山の神や天候の神を祀っていた ... https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/30230523.html?__ysp=44Of44OH44Ok44OzIOODiOODvOODqQ%3D%3D
シナイ山は、シナイ半島の先端部にある標高2285メートルの山で、土地の人々(アラブ人)からは「モーセの山(カバル・ムーサ)」と呼ばれている山だと言われている。「シナイ山」という名称は旧約聖書に登場するのみで、公式にこの山が「シナイ山」と呼ばれているわけではない。これは、ユダヤ教の伝統ではトーラやミツヴァよりも、シナイ山が聖地として重要視されることを避けるために、あえて地理的な特定は行わなかったのが理由とされている。
「モーセの山」という名称が使われたのは、すでに紀元前1世紀頃、ヨルダン西部のペトラ周辺に栄えたナバテア王国時代(それ以前はエドム人が住んでいた土地)の遺物から“その山”がジョバル・ムーサ(Dschebel Mussa:モーセの山)と呼ばれていたことが確認されている。

そしてトーラーを学び、ユダヤ人独自の習慣を守る環境を立て直し、神殿をユダヤ人社会 における中心的役割に戻しました。
ユダヤ人は壊滅的危機に直面していました。http://www.bfpj.org/know/teachingletter/?id=105

>紀元前323年のアレクサンダー大王の死に続き、ギリシャ帝国は3つの主要国に分割されました。
>約167年後に来臨するイエスの鍵となる要素、イスラエル民族と神殿が消えていたかもしれないのです。

紀元前323年・・・約167年後   紀元前156年

?156:(13×12)、ルシファー(ラテン語)、会見の幕屋http://on-linetrpgsite.sakura.ne.jp/human/post_99.html

冪乗https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AA
冪指数 2 に対して二次の冪(二乗) b2 は b の平方 (square of b) あるいは b-自乗 (b-squared) と呼ばれ、冪指数 3 に対する三次の冪 b3 は b の立方 (cube of b, b-cubed) と呼ばれる。また冪指数 -1 に対して冪 b-1 は 1/b であり b の逆数(あるいは乗法逆元)と呼ばれる。一般に負の整数 n に対して底 b が零でないとき、冪 bn はふつう bn × bm = bn + m なる性質を保つように bn := 1/b-n と定義される。


出エジプト記 No. XVIII 会見の幕屋. 神様は いよいよ天幕の神殿の設計図をモーセに示されます。実に細かく念入りに教えます。http://www.ne.jp/asahi/petros/izumi/2009msg/090830.html
26:1 幕屋を十枚の幕で造らなければならない。すなわち、撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でそれにケルビムを織り出さなければならない。 26:2 幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビト、幕はみな同じ寸法とする。 26:3 その五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、また他の五枚の幕も互いにつなぎ合わせなければならない。 26:4 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に青いひもの輪をつける。他のつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにしなければならない。 26:5 その一枚の幕に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の端にも輪五十個をつけ、その輪を互いに向かい合わせにしなければならない。 26:6 金の留め金五十個を作りその留め金で幕を互いにつなぎ合わせて一つの幕屋にする。
 天幕は日本で言えば西陣織のような豪華絢爛たるものでした。そこに描かれたのはケルビムでした。ケルビムは神の最も御側近く仕える天使で、人と獅子と鷲と牛の顔を持ち、6枚の羽根を持つ不思議な生き物です。間もなく私たちはその姿を見るでしょう。
 この幕は縦約11メートル、横1.6メートルの細長い布でした。それを5枚ずつつなぎ合わせ2枚の幕にします。その2枚の幕を青い紐の輪と金の留め金でつなぎ合わせて一枚の大きな幕にしました。長さ約16メートル、幅約11メートルの、恐らくは分厚い幕だったことでしょう。この幕にはケルビムが美しく織り込まれていました。

26:7 また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作る。その幕を十一枚作らなければならない。 26:8 その一枚の幕の長さは三十キュビト。その一枚の幕の幅は四キュビト。その十一枚の幕は同じ寸法とする。 26:9 その五枚の幕を一つにつなぎ合わせ、また、ほかの六枚の幕を一つにつなぎ合わせ、その六枚目の幕を天幕の前で折り重ねる。 26:10 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の縁にも輪五十個をつける。 26:11 青銅の留め金五十個を作り、その留め金を輪にはめ、天幕をつなぎ合わせて一つとする。 26:12 天幕の幕の残って垂れる部分、すなわち、その残りの半幕は幕屋のうしろに垂らさなければならない。 26:13 そして、天幕の幕の長さで余る部分、すなわち、一方の一キュビトと他の一キュビトは幕屋をおおうように、その天幕の両側、こちら側とあちら側に、垂らしておかなければならない。26:14 天幕のために赤くなめした雄羊の皮のおおいと、その上に掛けるじゅごんの皮のおおいを作る

この後、もう一度、天幕の内部、聖所の設計図が示されます。
26:15 幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。 26:16 板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。 26:17 板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作る。幕屋の板全部にこのようにしなければならない。 26:18 幕屋のために板を作る。南側に板二十枚。 26:19 その二十枚の板の下に銀の台座四十個を作らなければならない。一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座を、他の板の下にも、二つのほぞに二個の台座を作る。 26:20 幕屋の他の側、すなわち北側に、板二十枚。 26:21 銀の台座四十個。すなわち一枚の板の下に二個の台座。他の板の下にも二個の台座。 26:22 幕屋のうしろ、すなわち、西側に、板六枚を作らなければならない。 26:23 幕屋のうしろの両隅のために板二枚を作らなければならない。 26:24 底部では重なり合い、上部では、一つの環で一つに合うようになる。二枚とも、そのようにしなければならない。これらが両隅となる。 26:25 板は八枚、その銀の台座は十六個、すなわち一枚の板の下に二個の台座、他の板の下にも二個の台座となる。 26:26 アカシヤ材で横木を作る。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、 26:27 幕屋の他の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、すなわち西側の板のために横木五本を作る。 26:28 板の中間にある中央横木は、端から端まで通るようにする。26:29 板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作らなければならない。横木には金をかぶせる。 26:30 あなたは山で示された定めのとおりに、幕屋を建てなければならない。

26:31 青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。 26:32 これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。 26:33 その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。 26:34 至聖所にあるあかしの箱の上に『贖いのふた』を置く。 26:35 机を垂れ幕の外側に置き、その机は幕屋の南側にある燭台と向かい合わせる。あなたはその机を北側に置かなければならない。 26:36 天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で刺繍をした幕を作る。 26:37 その幕のためにアカシヤ材の柱五本を作り、これに金をかぶせる。それの鉤も金で、また、それらの柱のために青銅の台座五つを鋳造する。

これだけ読むと分かりにくいかもしれませんが、ここには二つのカーテン(垂れ幕)が語られています。一つは聖所と至聖所を隔てるカーテンであり、もう一つは聖所の入り口、すなわちこの幕屋の入り口のカーテンです。カーテンと言うより緞帳(どんちょう)と言う方がふさわしいかもしれません。分厚い布で、中のカーテンにはケルビムが織り出されていましたが、入り口のものはただ刺繍したとあるだけです。聖所と至聖所の隔ての幕は4本の柱で支えられていました。前者の台は銀、後者の台は銅でした。銅は苦難を表します。
 この内、内部の垂れ幕はキリストが十字架に架かられたときに、真っ二つに裂けたと書かれています。聖所と至聖所を隔てる隔ての垂れ幕が裂けたのです。
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。ヘブル4:16(口語訳)兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、10:19(同)

調神社(つきじんじゃ[1]) は、埼玉県さいたま市浦和区岸町にある神社。式内社で、旧社格は県社。
別称は「調宮(つきのみや)」。社名の「ツキ」により月待信仰が古くからあり、狛犬ではなく狛ウサギがある神社として知られる。
紀元前156年https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D156%E5%B9%B4

たくさんの異体字がある「兎」http://tonan.seesaa.net/article/369888396.html

兎[兔] ト・うさぎ  儿部 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e419270b0408789cc9de8e1ffb69c4eb
解字 うさぎの形の象形。点がつくのは兎の尻尾を意味する。
意味 (1)うさぎ(兎)。「脱兎ダットの如く」 (2)月の異称。月に兎がすむという伝説から。「玉兎ギョクト」
うさぎの字三種 現代字は、ノが上に着くので「野(ノ)兎」と覚える。兎を含む字は、クうさぎ・兔(逸イツに含まれる)と、刀(かたな)うさぎ(冤エンに含まれる)がある。
イメージ 「うさぎ」(兎・逸・冤)
音の変化  ト:兎  イツ:逸  エン:冤
兎[兔] ト・うさぎ  儿部
解字 うさぎの形の象形。点がつくのは兎の尻尾を意味する。
意味 (1)うさぎ(兎)。「脱兎ダットの如く」 (2)月の異称。月に兎がすむという伝説から。「玉兎ギョクト」
うさぎの字三種 現代字は、ノが上に着くので「野(ノ)兎」と覚える。兎を含む字は、クうさぎ・兔(逸イツに含まれる)と、刀(かたな)うさぎ(冤エンに含まれる)がある。
イメージ 「うさぎ」(兎・逸・冤)
音の変化  ト:兎  イツ:逸  エン:冤

うさぎ
逸 イツ  之部
解字 旧字は 「二点しんにょう(ゆく)+兔(クうさぎ)」 の会意。はしる・のがれる・かくれる・足がはやい等、兎の動くさまをいう。新字体では、兔の丶(点)がない。
意味 (1)はしる。のがれる。にがす。「逸機イッキ」(機会をのがす)「後逸コウイツ」(後ろにそらす) (2)かくれる。うしなう。「逸史イッシ」(書きもらされた歴史上の事実) (3)はずれる。「逸脱イツダツ」 (4)足がはやい。抜きんでる。「逸材イツザイ」
冤 エン  冖部
解字 「冖(おおい)+刀うさぎ」 の会意。覆いをかぶせられ外にでることができない兎。動き回ってのがれた兎の「逸イツ」に対して、不幸にしてつかまった兎を「冤エン」という。
意味 (1)ぬれぎぬ。無実の罪をうける。「冤罪エンザイ」「冤獄エンゴク」(無実の罪で牢獄につながれる) (2)うらみ。「讐冤シュウエン」(うらみをはらす)
覚え方 わ(ワ)なにはまった刀うさぎ

卜旬(十 日を一旬としてする占い)
「古代中国の陰陽五行説の思想に基づいて天文・暦法・占術などの 学問的なものから天人相関思想による祥瑞災異などの思想、 ..... この時期には卜旬(十 日を一旬としてする占い)が広く行われていたようで、この十日ごとに循環する日を表す 数詞として十干が用いられたようです。 ...... それによると、中国留学の目的は中国に 伝わる秘本「ほき内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)」の伝授とされてい ます。
陰陽道http://square.umin.ac.jp/aoki530t/aokikoubou/prorogu/onnmyudoudoc.htm
十二支
十二支とは、子(し)・丑(ちゅう)・寅(いん)・卯(ぼう)・辰(しん)・巳(し)・午(ご)・未(び)・申(しん)・酉(ゆう)・戌(じゅつ)・亥(がい)の総称です。時代的には十干よりも古く、殷の時代には使われていたともされています。
十二支は元は十二ヶ月の順序を示すための数詞であったと考えられています。元々は子を一月に、丑を二月に、以下同様に順に当てていったと考えられていますが、現在では寅が正月に当てられています。これは立春正月が使われるようになったためです。
中国では時代によって正月が異なっていました。周の時代には冬至を含む月(子)を正月に、殷の時代にはそれより一ヶ月遅れた月(丑)を正月に、夏の時代にはさらに一ヶ月遅れた月(寅)を正月にしていました。
十二支の語源ですが、十干の場合と同様に草木の生長過程を十二段階に分けて名付けられたものです。

バビロニアの十二宮が十二支そのものの起源だという説https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF
十二支は古く殷の甲骨文では十干と組み合わされて日付を記録するのに利用されている。戦国以降、日だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになる。
戦国時代の中国天文学において天球の分割方法の一つであった十二辰は、天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分したもので、この名称には十二支が当てられた。また、木星が約12年で天球を西から東に一周することから、十二次という別の天球分割法における木星の位置が年の記述に利用されていたが、十二辰の方向と順序に対しては逆方向であるため、紀元前4世紀ごろ、十二辰の方向に合わせるべく木星とは一直径を境に逆回りに天球を巡る太歳という架空の星を考え、太歳の十二辰における位置で年を示す紀年法が使われるようになった。これが後漢以後に始まり現在まで使われている干支による紀年法の起源である。
また、12という数が1年の月数と同じであることから、月を表すのにも用いられるようになった。これを月建といい、建子の月は冬至を含む月、すなわち夏暦の11月、周暦の正月である周正に置かれた。
さらに、時刻(十二時辰)や方位の表示にも用いられるようになった。正午(昼の12時)、正子(夜の12時)、子午線(南北を結ぶ線: 経線)、卯酉線(東西を結ぶ線: 局所的に緯線と一致するが厳密には両者は別のもの)の称はこれに由来する。
十二支の各文字の原意は不明である。一説に草木の成長における各相を象徴したものとされるがこれは漢代の字音による解釈説である(『漢書』律暦志)。また各十二支は十二の動物でもある。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは本来は関係なく、後から割り振られたものという立場からはこの動物を十二生肖と呼ぶ。が、日本では十二支という言葉自体で十二の動物を指すことが多い。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)や、バビロニア天文学の十二宮が後から伝播してきて十二支と結びついたという説がある。もともと動物を表していたという説では、バビロニアの十二宮が十二支そのものの起源だという説の他、諸説がある。

古方位
東西南北の四方位が子・卯・午・酉に配当されるのに加えて、北東・南東・南西・北西はそれぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれ、該当する八卦から、「艮」「巽」「坤」「乾」の字を当てる(→方位)。
北東を「鬼門」、南西を「裏鬼門」として忌むのは、日本独自の風習だが、(ウシのような)角をはやし、トラの皮のふんどしをしめた「鬼(オニ)」という妖怪のイメージは、この「うしとら」から来ていると思われる。
日本の城郭建築では、曲輪(郭)の四隅に隅櫓を築いて防御の拠点としたが、「巽櫓(辰巳櫓)」等のように、方角の名称を以て櫓に命名することが行われていた。現存建築としては高松城艮櫓(香川県高松市)、江戸城巽櫓(東京都千代田区)、明石城巽櫓・坤櫓、高崎城乾櫓等が存在している。
「辰巳芸者(巽芸者、たつみげいしゃ)」とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者を指す。この地が江戸城の南東に位置したことから。日本橋葭町の人気芸者、菊弥が移り住んで店を構えたことに始まる。幕府公認の遊里ではないために、巽芸者は男名前を名乗り、男が着る羽織を身につけたため、羽織芸者、また、単に羽織とも呼ばれたが、鉄火で伝法、気風(きっぷ)がよくて粋であることで知られた。
船舶航行時に使われた「おもかじ」「とりかじ」という言葉は、「卯面梶」「酉梶」から来ているとする説もある。

ゲルマン語派の数詞は 12 以下と 13 以上とで構成が異なる。

「冪」の文字はもともと「覆う、覆うもの」という意味の漢字
十二進法(じゅうにしんほう)は、12 を底(てい)とし、底およびその冪を基準にして数を表す方法である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E9%80%B2%E6%B3%95

「尸(腰掛ける人)+丌キ(腰掛け)+冂(台)」http://www.geocities.jp/wtbdh192/html/fusig01.htm

>・・・紀元前156年

紀元前二二一年
始皇帝の宮殿群と星座の位置は同じだった
前殿である阿房(あぼう)宮http://www.geocities.jp/wtbdh192/html/fusig01.htmhttp://www.geocities.jp/wtbdh192/html/fusig01.htm
秦の始皇帝が、咸陽(かんよう)宮、阿房(あぼう)宮などの宮殿群や河川を、北極星などの星座や銀河に見立てて配置したと記してある。
 始皇帝は紀元前二二一年に天下を統一すると、翌年に長信宮を渭水(いすい)の南に建てることにした。
  まず先に前殿である阿房(あぼう)宮を建てた。その規模は、東西五百歩(639メートル)、南北五十丈(115.5メートル)あり、殿上には一万人が座ることができ、殿下には五丈(11.55メートル)の大旗をたてることができたという。周囲には閣道(楼と楼の二階の間につなげた廊下)をはしらせ、殿下からは、直接、南の終南山(秦嶺山脈)の頂上まで行けるようにした。山頂には闕(けつ。正式な宮門。下は門、上は閣となっている)を建てた。阿房(あぼう)宮の北は複道(上下二層の廊下)をつくり渭水(いすい)をわたって、咸陽(かんよう)につなげたと書かれている。
  それは北極星(阿房宮)から閣道(複道、閣道)をとおり、銀河(渭水)をわたり、営室(咸陽宮)につらなりいたるような形と同じにしたものであったという。

古代中国人は、この世界は天空にいる天帝が支配するものとかんがえていた。天体の運行は、この世界を象徴するものとみなし、天体観測には、たいへんな関心をもっていた。そこで二十八の星座つまり二十八宿図が成立した。
  秦の宮殿群と地形を、二十八宿図と比較すると、たしかに天空の星座と同じような位置に配置してある。下図の二十八宿図にある、円中央付近の北極と上の営室の中間には閣道があり、横には銀河が流れている。営室は、『史記』の言い方で、あとからできた二十八宿では壁と室のふたつに分かれた。

、『詩経蔚(よう)風』によれば、営室が中天に来れば、宮殿を営造してよろしいとの風習があったという。

阿房(あぼう)宮の建設などには七十万人もの去勢者と徒刑者を動員した。かれらのほとんどは社会的な犯罪者ではない。ごく普通の人びとが、秦の酷烈な法によって、刑罰を科せられたにすぎない。・・・バビロン捕囚?

北極星の位置する星座は総称して中宮( ちゅうぐう)として呼ばれ、最高神として崇める天帝の常居として拝されてきました。http://square.umin.ac.jp/aoki530t/aokikoubou/prorogu/onnmyudoudoc.htm

「下基なり。物を薦むるの丌なり」とあり、物を置く台のこと。
丌とはhttp://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%8C

バビロン捕囚の用語解説 - 前 597~538年 にわたってイスラエルのユダヤの人々がバビロニア王ネブカドネザルによって バビロニアに捕囚となった事件をさす。https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%B3%E6%8D%95%E5%9B%9A-116028
バビロニアでは宗教的自由は許されたが,エルサレム神殿において行なっていた祭儀を失ったので,それにかわって安息日礼拝が中心になり,会堂 (→シナゴーグ ) における律法の朗読と祈祷を中心とする新しい礼拝様式が始められた。またこの時期にモーセ時代から彼らの時代までの歴史,すなわち『申命記』から『列王紀』が編纂された。したがって預言活動はやんで,かわって律法学者や書記が祭司と並んで重要な位置を占めるようになり,旧約の宗教は「書物の宗教」の性格を強めていった。そして前5世紀後半にネヘミア,エズラが帰国して新しい法典のもとに民族の再建をはかり,ここにユダヤ教が成立することになった。

聖書以外に、当時のバビロニアやペルシアの文字史料でこの事実を伝えているものはほとんど存在していない。聖書というユダヤ人自身の伝承が唯一の史料であり、客観的な記録や史料は残されておらず、ということはどの教科書も、旧約聖書の伝承を鵜呑みにして記述しているのだ。気をつけなければならないのは、この「ユダヤ民族」の民族的苦難が、そのまま現代のイスラエル国家の建設の正当性へと結びつけられることである。「バビロン捕囚」の時代のユダヤ人と、現代のユダヤ人とは、全く違った民族であるというのが正しい理解であるので、その点も注意を要する。
バビロン捕囚 エグザイル http://wh-win.blog.so-net.ne.jp/wh0101-085
バビロン捕囚に至るまで 前722年、イスラエル王国がアッシリアに滅ぼされた。この時も多くのイスラエルの民がアッシリア領に連れ去られている。イスラエル王国の滅亡によって、ヘブライ人の国家はイェルサレムを都としたユダ王国のみとなった。アッシリアはユダ王国も征服しようとイェルサレムに総攻撃をかけたが、ユダ王国の王ヒゼキヤは城壁を増築し、水路を造って飲用水を確保するなど守りを固めてて抵抗した。結局はその軍門に下り、アッシリアに貢納する属国として細々と独立を維持することとなった。(ただしこの時はイェルサレムは破壊されなかった。この経緯は旧約聖書の記述がアッシリア側の碑文と一致しているので知ることができる。

「・・・バビロンの王ネブカドネザルもまた町(イェルサレム)に攻めてきた。ユダの王エホヤキン(このとき18歳)はその母、その家来、そのつかさたち、および侍従たちと共に出て、バビロンの王に降服したので、バビロンの王は彼を捕虜とした。これはネブカドネザル王の治世の第8年であった。彼はまた主の宮のもろもろの宝物および王の家の宝物をことごとく持ち出し、イスラエルの王ソロモンが造って主の神殿に置いたもろもろの金の器を切りこわした。主が言われたとおりである。彼はまたエルサレムのすべての市民、おおびすべてのつかさとすべての勇士、さらにすべての木工と鍛冶一万人を捕らえて行った。残ったものは国の民の貧しい者のみであった。・・・<日本聖書協会『聖書』1955年改訳旧約聖書・列王紀下第24章 p.560>
この時バビロンに送られた総数はエレミヤ書では3023人とされているが、これは家長だけを指し、実際に家族を含めればその数倍になるだろう。この時はネブカドネザルは神殿は破壊せず、また属州とすることもなく、属国としてエジプトとの緩衝地帯としようとしたらしい。<山我哲雄『聖書時代史 旧約編』2003 p.166-167>
第2回バビロン捕囚 エホヤキン(ヨヤキン)がバビロンに連行された後、バビロンの王によってその叔父が王位に付けられてゼデキヤとなった。しかしこの王も列王紀では前の王たちと同じく「主の目の前で悪を行った。エルサレムとユダにこのような事の起こったのは主の怒りによるもで、主はついに彼らをみ前から払いすてられた。」と言っている。そのビデキヤがバビロンの王にそむいたので、前586年に第2回バビロン捕囚が起こった。

>海蛇座はとにかく長い 星座で、その長く並んだ星は柳の枝を連想させるのに十分である。ギリシャ神話でも9 つの頭をもつ海蛇ヒドラの姿をかたどっています。 http://kosei-do.com/27syuku/gaiyou.php?yado=7
やなぎ
われらはバビロンの川のほとりにすわり、シオンを思い出して涙を流した。
われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。
われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。
われらを苦しめる者が楽しみにしようと、「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。
われらは外国にあって、どうして主の歌をうたえようか。
エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。
もしわたしがあなたを思い出さないならば、もしわたしがエルサレムをわが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください。
主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、「これを破壊せよ、これを破壊せよ、その基まで破壊せよ」と言ったことを覚えてください。
破壊者であるバビロンの娘よ、あなたがわれらにしたことを、あなたに仕返しする人はさいわいである。
あなたのみどりごを取って岩に投げうつ者はさいわいである。<日本聖書協会『聖書』1955年改訳旧約聖書 詩編第137編 p.870>

バビロン捕囚の意義 「バビロン捕囚」は一度だけではなかったことや、必ずしも過酷な捕虜生活を強いられたのではなかったことなど、教科書の記述だけのイメージは改めなければならないことがわかったが、その歴史的意義としてユダヤ教の成立とユダヤ人という呼称の成立がこの事件を契機として始まったことは間違いない。
ユダヤ教の成立 ユダヤ人にとって捕囚そのものは苛酷な苦難ではなかったが、神の保護のもとにあったはずの祖国が消滅し、神殿は破壊されてしまったことは、ヤハウェ神への信仰をゆるがす大きな危機であった。それはヤハウェ神への疑義と異教への誘惑が強まるという形で高まった。しかしユダヤ人は捕囚生活の中で、強い望郷の念とともに新たな信仰形態を育んでいった。バビロン捕囚時代に生まれた、かつての神殿儀礼を中心とした信仰の形態に代わる新たな信仰形態は次のようなものである。
 ・長老や知識人を中心とした集会で律法(トーラー)の言葉を学び、祈り、礼拝するようになった。これが後のシナゴーグの原型となった。

ヨーロッパのユダヤ人問題を「われわれの問題」としてその解明に取り組んだアンドレ=ジーグフリードは『ユダヤの民と宗教』の中で次のように述べている。<以下引用>「バビロン捕囚は、他に何回もあったユダヤ人の離散(ディアスポラ)の一例でしかない。征服者はわずかな者だけを比較的裕福で信頼するに足る“占領軍への協力者(collaborateurs)”とともにエルサレムに残したが、エジプト、アルメニア、コーカサスには、その後帰国を断念したユダヤ人たちのグループが離散していたのである。メソポタミアでは事情が違っていて、ユーフラテス川の中流に、ユダヤ人の部落ができあがり、彼らはもちろん捕囚の身ではあったが、虐待はされていなかった。これらのユダヤ人部落は、その後もきわだった活動をつづけ、しばらくすると相当の繁栄ぶりをみせている。エステル記はユダヤ人の心理をよく示しているが、それによればこの捕囚であるユダヤ人たちが逆に人を苦しめることとなった気配がある。要するにこうした変化にもかかわらず、いと高き使命を負う選民であるという意識は、捕囚の中にあっても強められ、イスラエル民族はその存在をまっとうしてゆくのである。」<ジーグフリード『ユダヤの民と宗教』1959 岩波新書 p.71 鈴木一郎訳>
 

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