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Re: 何処やらに

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月21日(月)14時49分24秒
返信・引用
  > No.3610[元記事へ]

山田さんへのお返事です。

弟 (テイ・平行四辺形。台形) 貞 (テイ・まっすぐ)  鼎( てい)
神梯の形
(サイ)とは、白川静が提唱する漢字の構成要素であり、祝詞を収める箱の形をしめす。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4_(%E6%BC%A2%E5%AD%97%E5%AD%A6)
、(サイ)を含む文字系列に対して訂正が必要としている。他にも「阜」が従来小高い丘の形とされていたのを、白川静は神梯の形としている。
なお、サイという発音は「才」「載」などの元字にという部分が含まれていることによる。祝詞が登載されていることから、訓読は「ノリト」である。
告 説文解字 - 文字の上部は牛の角であり、牛が人に告げるときはその角で人に触れることから 白川静説 - 文字の上部は木の枝であり、祝詞を収めた(サイ)につけて神に告げ、祈ることから

甲骨文におけるサイhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%8F%A3-oracle.svg

劉鼎。殷の末期の鼎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Liu_Ding.jpg

鼎の足が3本であることから、3という数を表すことがある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BC%8E
鼎談(ていだん) - 3人で会談すること。
鼎立(ていりつ) - 3つの勢力が並び立つ状態のこと。「三足鼎立」(さんそくていりつ)、「鼎足之勢」(ていそくのせい)などともいう。
権力の象徴として用いる。

かなえの足のように三方に並ぶさま。https://mnamae.jp/c/g_9f0e.html
三つの足と二つの耳のある器。もと、なべや食器として用いたが、のちには王侯の祭器、礼器となった。 王位のしるし。国に伝わる宝。 かなえの足のように三方に並ぶさま。また、ずっしりと、すわったさま。 あたる。まさに。ちょうど…だ。ぴったりあたる。周易の六十四卦カの一つ。巽下離上ソンカリショウの形で、木の上に火があり、供物を煮て神をまつるさまをあらわす。

地上に配置された複数の三角点を線分で結んで形成される網(三角網)において,各線分間の角(水平角)を測定して三角点の水平位置(経度,緯度)を求める測量。地球上での三角点の位置は,旧来経度,緯度,高さの3量によりあらわされるのが普通である。…
三角網https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B6%B2-70414

「弟テイ」 <順序よく巻く>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e553ccb263ce4bffcd34d4f117a7ee7b
解字 甲骨文字は、武器であるほこ(戈)の柄(戈の刃がない形)に、すべり止めのため、なめし革の紐を巻いた形の象形。順序よく巻いてゆくので「順序よく」の意味がある。また、柄の部分は刃の下部なので、兄弟の順序の下にある「おとうと」を示す。現代字は上部がソ、紐を巻いた部分⇒弓に変化した弟になった。
意味 (1)おとうと(弟)。「兄弟キョウダイ」「弟妹テイマイ」(弟と妹) (2)でし。門人。教え子。「弟子デシ」「門弟モンテイ」「師弟シテイ」 (3)順序。
イメージ  「おとうと」(弟・悌)
       「順序」 (第・梯)
       「同音代替」 (剃・鵜・涕)
音の変化   テイ:弟・悌・梯・剃・鵜・涕  ダイ:第
おとうと
悌 テイ  忄部
解字 「忄(心)+弟(おとうと)」の会意形声。兄に従順な弟の気持ちをいう。
意味 (1)したがう。年長者に従順なこと。「孝悌コウテイ」(父母に孝行し兄に従順なこと) (2)兄弟の仲がよい。「悌友テイユウ」(兄弟の仲むつまじい) (3)やすらか。やわらぐ
梯 テイ・はしご  木部
解字 「木(き)+弟(順序)」 の会意形声。二本の木の間に順序よく短い木が並ぶはしご。
意味 はしご(梯)。「梯子テイシ・はしご」「雲梯ウンテイ」(①城攻めに用いた長い梯子。②梯子を水平に渡した遊戯施設)「梯田テイデン」(段々畑)「梯索テイサク」(なわばしご)「梯形テイケイ」(①はしごの形。②平行四辺形。台形)

「鼎立テイリツ」「鼎談テイダン」(三人が向かい合って話す)
「鼎テイ」<かなえ> と「貞テイ」<鼎による占い>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/ed08f168932e140822db7232ef713e77
解字 食べ物を煮る三本脚の容器である鼎(かなえ)の象形。鼎はもともと食物を煮炊きする土器として出現したが、青銅製も作られるようになり、宗廟において祖先神を祀る際に、いけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められた。精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられた。
意味 (1)かなえ(鼎)。「鼎爼テイソ」(鼎とまないた)「鼎沸テイフツ」(鼎の沸くが如し) (2)王位。また王を支える大臣。「鼎臣テイシン」(三公の位にある臣。大臣) (3)三つのものが並び立つ。「鼎立テイリツ」「鼎談テイダン」(三人が向かい合って話す)
貞 テイ <鼎による占い>
貞 テイ・ただしい  貝部
解字 甲骨文字は鼎の省略形で占う意を表している。金文は、「ト(占う)+鼎(かなえ)」 の会意。精巧に作られた青銅器の鼎は国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられた。この鼎を用いて占いを行なう形が貞で、「(神意を)伺う」、(神意の結果が)「正しい」意味を示す。しかし、鼎を用いて具体的にどのように占ったか判明していない。篆文から鼎が貝に変化した貞になった。
意味 (1)問う・きく。占って神意をきく。「貞吉テイキチ」(貞して吉なり) (2)ただしい(貞しい)。心が正しい。まっすぐである。「貞淑テイシュク」(女性がしっかりしてしとやか)「貞女テイジョ」「貞操テイソウ」(女性の正しいみさお)
イメージ  鼎で占うことから「神意をうかがう」(貞・偵)
      占いで「吉とでる」(禎)
     「同音代替」(幀)
音の変化   テイ:貞・偵・禎・幀
偵 テイ・うかがう  イ部
解字 「イ(人)+貞(神意をうかがう)」 の会意形声。神意をうかがう人の意。
意味 (1)うかがう(偵う)。ようすを探る。「偵察テイサツ」「内偵ナイテイ」 (2)ようすを探る者。「探偵タンテイ」「密偵ミッテイ」

テイは廷テイ(まっすぐのびる)
「壬テイ」 <ぬきんでる> と 「呈テイ 」 「廷テイ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/b52c69ec464a3e0044c04a74d4228326
解字 甲骨文は、「土(つち)+立つ人」の会意。土の土台(土盛り)の上に立つ人のかたちで、ぬきんでる意。篆文は、土の上の人がすこし前かがみになっているが、意味は同じ。現代字は「ノ+土」の形だが、単独で使われないので、ワープロやネットで表現できる字が用意されていない。ここでは、とりあえず「壬ジン」で代用するが、本来、壬ジン(みずのえ)は下が短く、「ノ+土」のテイは下が長い。またテイ(ノ+土)が音符になったとき、「壬」や「王」の形に変化することが多い。
意味 ぬきんでる。つきでる。
イメージ 「ぬきんでる」「つきでる」
呈 テイ <神に差し出す>
解字 「口サイ+壬テイ(ぬきんでる人)」の会意形声。口サイは、神への祈りの言葉である祝詞を入れる器。これを抜きん出て立つ人が高くかかげて神にささげ、神に内容を示すことをいう。新字体は、壬テイ⇒王に変化する。
意味 (1)さしだす。さしあげる。「贈呈ゾウテイ」「進呈シンテイ」 (2)しめす。あらわす。「呈示テイジ」(差し出してみせる)「露呈ロテイ」(隠れているものが外に表われ出る)
イメージ  原義の 「神に差し出す」 (呈)
       壬テイの意味である 「ぬきんでる」 (程・逞・酲)
       「その他」 (聖)
音の変化  テイ:呈・程・逞・酲  セイ:聖
程 テイ・ほど  禾部
解字 「禾(いね)+呈(ぬきんでる)」 の会意形声。ぬきんでて立つ稲の長さを意味し、長さの単位やみちのりの意。のち、長さの標準となることから、きまり・さだめの意となった。
意味 (1)(稲の長さから)長さの単位。ながさ。みちすじ。みちのり。「里程リテイ」(みちのり。里数)「道程ドウテイ」「行程コウテイ」 (2)標準。きまり。さだめ。「規程キテイ」「教程キョウテイ」「課程カテイ」 (3)ほど。ほどあい。ぐあい。「程度テイド」
逞 テイ・たくましい  之部

聖 セイ・ひじり  耳部
甲骨文は、「耳のおおきな人(良く聞こえる耳)+口サイ(祝詞のうつわ)」 の会意。祝詞(のりと)や占いごとを口サイに入れて神に祈り、よく聞こえる耳で神のお告げを聞くこと。神意に耳をかたむけ、よく聞くことのできる人を表す。篆文で「耳+口+壬テイ(ぬきんでる人)」 の会意となり、新字体で壬テイ⇒王に変化した聖となった。神意に耳を傾ける意から転じて、さとい・かしこい・物事の理に通じている人。一つの奥義をきわめた人。天子の尊称、宗教的な崇拝対象などを表す字となった。
意味 (1)ひじり(聖)。知徳がすぐれ物事の理に通じている人。 ①さとい。かしこい。「聖臣セイシン」(すぐれた臣下)「聖童セイドウ」(神童。天才児) ②一つの道で奥義を窮めた人。「剣聖ケンセイ」「詩聖シセイ」(傑出した詩人。また、詩仙の李白に対し、杜甫をいう)「聖堂セイドウ」(孔子をまつった廟) ③宗教的な崇拝対象。「聖人セイジン」 ④天子の尊称。「聖王セイオウ」⑤崇高な。荘厳な。「神聖シンセイ」「聖地セイチ」  (2)[国]ひじり(聖)。高徳の僧侶。「高野聖こうやひじり」

 廷 テイ <ひろにわ>
解字 金文は、「乚(区切り)+土(土の神)+人」の会意。区切られた区画で、土神(社・やしろ)をまつる人を表し、宮中の中庭でおこなわれる祭祀の形。篆文は、「廴(のびる)+壬テイ(土台の上の人)」の形に変化した。両者を合わせると、宮中のひろくのびる庭でおこなわれる祭祀のかたちで、意味は祭祀のおこなわれる場所。転じて、政務などの行なわれる所の意となる。
意味 (1)政務をおこなう場所。「朝廷チョウテイ」「廷臣テイシン」 (2)裁判を行なう所。「法廷ホウテイ」「廷史テイシ」

イメージ  政務などを行なう 「ひろにわ」 (廷・庭)
       壬テイの意味である 「ぬきんでる」 (挺)
       壬テイの意味である 「つきでる」 (艇・梃)

「帝テイ」 <神をまつる三本脚の祭卓>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/ab501565847f26ec86b2ccfa344f3077
解字 甲骨文字で分かるように、三本脚の祭卓の脚をH印でしばった形の安定した大きな祭壇をいう。金文から祭卓に供物(-印)をのせる。最も尊い神を祀るときの祭卓で、その祭祀の対象となるものも帝とよんだ[字統ほか]。
意味 (1)天の神。あまつかみ。「天帝テンテイ」 (2)みかど。天子。天皇。「帝王テイオウ」「皇帝コウテイ」
イメージ  「神を祀る祭卓」 (帝)
       祭卓の脚部を 「むすぶ」 (締)
       「同音代替」 (蹄・諦・啼)
音の変化  テイ:帝・締・蹄・諦・啼
むすぶ
締 テイ・しめる・しまる  糸部
解字 「糸(ひも)+帝(むすぶ)」 の会意形声。糸(ひも)で結んでしめること。
意味 (1)しめる(締める)。しまる(締まる)。しめくくる。「締め切り」「締め込み」 (2)むすぶ。とりきめる。「締結テイケツ」「締約テイヤク」

むすぶ。とりきめる。

三角点山山頂(三等三角点の標識が有る・・・こも古墳・・・1号墳らしい)
三角点山古墳群http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/f264868838c1ad1cf49a407c14bbe62a

三重目の頂上が若草山山頂であり三角点はここにある。枕草子にも登場する「鶯塚古墳 」もここにある。若草山の頂 上に築かれた全長103mの前方後円墳で、後円部に「鶯陵 」の石碑が立っている
鶯塚古墳http://inoues.net/ruins/uguisuduka.html

「熒ケイ」 <かがり火がもえる>
解字 金文は、たいまつを交差させた形で、庭燎テイリョウ(かがり火)の象形。火のあかりを意味する。この字は篆文以降、「火+火+冖」に変化して上部につく冠になり、「かがり火がもえる」「ひかる」イメージで音符となったため、新たに「火」をつけた熒が篆文から誕生した。
意味 (1)ともしびの光。ひかる。「熒熒ケイケイ」(ひかりかがやく)(2)あきらか。
イメージ  「かがり火がもえる」 (熒・営・労・撈)
       かがり火が 「光る」 (蛍)
       かがり火がもえて 「ひかりかがやく」 (栄・鶯)
音の変化  ケイ:熒・蛍  エイ:栄・営  オウ:鶯  ロウ:労・撈

鶯 オウ・うぐいす  鳥部

鶯は「鳴く鳴く梅に行く」から、「泣く泣く埋めに 行く」お葬式を導き出すようです。 http://blog.livedoor.jp/nusimaki/tag/%E9%9A%A0%E8%AA%9E
墳墓
鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、奈良県奈良市雑司町に所在する古墳時代中期の前方後円墳。景勝地である若草山の山頂に所在し、国の史跡である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%AF%E5%A1%9A%E5%8F%A4%E5%A2%B3

草山・春日山から西に、生駒山から東西に線を引くと 、そのレイライン上に奈良・大阪の重要なスポットがきれいに位置し ...
奈良・大阪 太陽の道http://enlt.jp/ps/Nosb/index.html
若草山、春日山、生駒山の頂上から東西に線を引くと、春分ライン、秋分ラインになるのですが、この三山のラインの間には、奈良・大阪の重要なスポットがきれいに収まることに気がつきます。

鷺山古墳(さぎやまこふん)とは、埼玉県本庄市児玉町下浅見字鷺山にある古墳時代初頭(3世紀末~4世紀初頭)[1]の前方後方墳である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%BA%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

路(直接つながる)」 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/61f44826dcc2947dc02e7c876d958698
「路ロ」 <天とつながる>
解字 「足(あゆむ)+各(神がいたる)」 の会意形声。各は「夂(下向きの足)+口(神へ祈る言葉をいれる器)」で、地上からの呼びかけに応じて、神が天から降りてくること。それに足がついた路は、神が足で降りて来る形で、神が降りてくる「みち」が原義。一般に「みち(道)」の意となるが、音符で「天とつながる」イメージがある。
意味 (1)みち(路)。じ(路)。「道路ドウロ」「遠路エンロ」「路頭ロトウ」「家路いえじ」「旅路たびじ」「山路やまじ」 (2)方向。方面。「針路シンロ」「販路ハンロ」 (3)物事のすじみち。道理。「理路整然リロセイゼン」
イメージ  神が降り来る道の意から、「天とつながる」 (路・露・蕗・鷺)
音の変化  ロ:路・露・鷺・蕗
鷺 ロ・さぎ  鳥部
解字 「鳥(とり)+路(天とつながる)」 の会意形声。天から来た鳥の意。サギという鳥は「雪客セッカク」という異称があり、雪のように白い、天から来た客(神)と考えられていた。
意味 さぎ(鷺)。サギ科の総称。形は鶴に似てやや小さい。「白鷺しらさぎ」「朱鷺シュロ」(トキの異称)
蕗 ロ・ふき  艸部
解字 「艸(葉)+路(直接つながる)」 の会意形声。葉が葉柄で地上と直接つながった形をしているフキ。茎は地上には伸びず、地中で地下茎(生姜やアヤメのような根塊)となり横に伸びる。フキは日本原産で、蕗ロは中国で香草や甘草の意。この字をフキに当てるのは、字の本質をふまえた見事な命名。

古代人の知恵に学ぼう
1)  日本:「さしがね」VS古代 エジプト:「なわ」https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/j-kadaimath/0307/index.htm
 日本の「さしがね」について学習するにあたっては,はじめに北野たけしさんが司会をしているテレビ番組「万物創世記」で4年前に放送された「大工さんの技」のビデオを30分視聴した。
 また,事前に地元の大工さんのところに取材にいって,さしがねの使い方を教わった。さらに,技術科の先生とも情報交換をして授業に臨んだ。
 さしがねは,下図に示したようにいろいろ便利に使える道具である。
 ・ 三等分など自由に等分できたり(平行線と比の考え方),角の三等分までできる(直角三角形の合同で証明可)。
 ・ 丸目や角目の意味は,平方根とのつながりか三平方の定理に結びつけられる。

古代エジプトの「なわ」については,古代エジプトでつくられた大きなピラミッドの図形的な正確さを紹介した後,その正確な角度は,“なわ張り師”と呼ばれた職の人たちが,なわを使ってつくったことを紹介した。
 そして,「われわれも古代の人々の知恵に挑戦してみよう。」「まず90度,60度,45度,30度の角をさしがねやなわを使って作ってみよう。」

今から5000年ほど前のエジプトで、「なわ張り師」と呼ばれた人たちは、12個の結び目 が同じ間かくでついているなわを使っていました。
3つの数の比 https://ameblo.jp/zerosensei/entry-12243028553.html

この三角形は二 つのピタゴラス三角形 (5,12,13)と(9,12,15)をつないだものです。
ピタゴラスの定理http://www.ndl.go.jp/math/s1/c6.html
3世紀にディオゲネス・ラエルティオスは『哲学者列伝』の中で「算数家のアポロドロスによれば、彼は直角三角形の斜辺の上に立つ正方形の面積は、直角をはさむ他の二辺の上に立つ正方形の面積の和に等しいということを発見したときに、百頭の牡牛を犠牲に捧げたということである。」と書いています。しかし、この算数家のアポロドロスについては詳細が不明です。
ピタゴラスの定理は紀元前3世紀にユークリッドが『原論』の中で証明していますが、ここではピタゴラスという名前は出てきません。しかし、5世紀にプロクロスの書いた『ユークリッド原論注釈』や紀元前1世紀ローマの建築家ウィトルウィウスの『建築十書』には、この定理の発見者はピタゴラスであるとされています。こうした古代の文献がルネッサンス時代に見つかり、以降、ユークリッド『原論』に、これはピタゴラスが発見したと書かれるようになりました。しかし、現在では、ピタゴラスはこの定理の発見者ではないという見解が有力です。
この定理は中国の数学では鉤股弦(こうこげん)の法と呼ばれ、古代の数学書『周髀算経』や『九章算術』で取り上げられています。日本に入ってからも鉤股弦という名称はそのまま使われました。鉤は「かぎの手」で直角を挟む短辺を、股は「足の分かれめ」で長辺を、弦は「弓のつる」で斜辺を意味しています。古代バビロニアや古代インドでもこの定理は発見されており、測量や建築、天文観測などで使われる重要な定理でした。三角関数もピタゴラスの定理と密接に関係しています。

奇数の和は平方数
鉤(勾)=2n(n+1)、股=2n+1、弦=2n2+2n+1 がピタゴラス数であるとしています。nを級と呼んでいます。これは先ほどの結果と同じものです。次に各級に対し経式と呼ぶ横への計算を[多少]というパラメーターについて行っています。
1級の場合、少は1で、多は2,4,6,8,10と2ずつ増加し、多をpとすると鉤=2p、股=p2?1、弦=p2+1 がピタゴラス数で、p=4の場合が(8,15,17)です。2級の場合、少は2で多は3,5,7,9,11と2ずつ増加し、多をpとすると鉤=4p、股=p2?4、弦=p2+4 がピタゴラス数です。3級の場合、少は3で多は4,6,8,10,12と2ずつ増加し、多をpとすると鉤=6p、股=p2?9、弦=p2+9 がピタゴラス数です。
一般にn級の場合、少はnで、多はn+1,n+3,n+5,n+7,n+9と2ずつ増加し、多をn+r (r=1,3,5,7,・・・)とすると鉤=2n(n+r)、股=(n+r)2?n2、弦=(n+r)2+n2 がピタゴラス数です。これは現代の教科書で見られる鉤=2mn、股=m2?n2、弦=m2+n2 と同じ解で、この方法ですべてのピタゴラス数を得ることができます。
和算では、これ以外にも様々な方法でピタゴラス数を求めています。

鉤(勾)
「ムコウ」 <ひじ> と 「厷コウ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/f51988c708ac88a42751dc79b367cae3
解字 甲骨文は手からのびる前腕の下方に〇印をつけ、そこが「ひじ」であることを示している。篆文第一字は、腕をまげたかたちで「ひじ」を表し、第二字は、「又(右手)+ムコウ(ひじを曲げた形)」の会意形声で、右手のひじを表す。ム・厷いずれも「ひじ」を表す。
意味 ひじ。
イメージ  「ひじ」 (肱)
       「ひじをまげる」 (弘・強・雄)、 「まげる」 (勾・鈎)
       「同音代替」 (宏・紘)、 「その他」 (私)
音の変化  コウ:肱・弘・勾・鈎・宏・紘  キョウ:強  シ:私  ユウ:雄

「宏図コウト」(大きなはかりごと)・・・公図・・・測る仕事

私 シ・わたくし・わたし  禾部
「禾(こくもつ)+ム」 だが、ムシをスキ(耜)とする見解と、ムコウ(ひじ)で囲い込むとする見解がある。

スキ(耜)囲 井

曲がった棒(すきや、てこに用いる)を描いた象形文字で、のち「(イ)」と書き、「耜(すき)」の 原字、 ... つまり、「」を ... 井(囲ー□) 周代の制で、一里四方九百畝の田地。 むら。まち 。人の集まる所。「市井」 星座の名。二十八宿の一つ。 易(エキ)の卦( ...
指宿 イブ 犂? 宿・・・佰. ヒャク ・ ハク ・ おさ.徐福http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2817
私とは - 語彙
禾は穀類の総称でたれるアワの形を描き、ムは鋤(すき)の形で鋤を使って耕作する人のことを指す。 ... 尚、「公」の成り立ちであるが、本来は儀礼の行われる宮廟の象形文字であって、公の八が「左右にそむく」の意でム(わたくし)
http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_si/goi_si_29.html

公私の公とは族長、貴族、私(禾:いね、と公:耜の象形、からなり耕作する人)とはその私属の隷農を云うのが原義(字統)、ここでは個人的なの義で、私事をさすとみる。
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkanp700/koten/isei.htm
北辰は北極星座(北極紫微)。司馬遷の天官書、律書に曰、「天の中宮は北極星座、最も明るいのは太一(神)の居。そばの三星は三公あるいは太子。うしろの四星の末は正妃、三星は後宮。そのまわりの十二星は藩臣。すべてを紫宮という。北斗七星は天帝の乗車で、天帝はこれに乗って天の中央をめぐり、四方を統一し、陰陽を分け、四季を立て、五行の活動をなめらかにし、季節を移し、諸紀を定める。」

神に供物を供えることであり、曾とは元来は竈の上に置いた器(こしき)から湯気の上がる形

ムは三方を塞ぐ形で 囲い 込むことを意味するという説もある。
井(囲ー□)
周代の制で、一里四方九百畝の田地。
むら。まち。人の集まる所。「市井」
星座の名。二十八宿の一つ。
易(エキ)の卦(カ)の一つ。巽下坎上(ソンカカンショウ)。君子が徳をかたく守ってるさま。
おきて。法。
<新漢語林より>



> >「弟テイ」 <順序よく巻く>
> 解字 甲骨文字は、武器であるほこ(戈)の柄(戈の刃がない形)に、すべり止めのため、なめし革の紐を巻いた形の象形。順序よく巻いてゆくので「順序よく」の意味がある。また、柄の部分は刃の下部なので、兄弟の順序の下にある「おとうと」を示す。現代字は上部がソ、紐を巻いた部分⇒弓に変化した弟になった。
>
> ・・
>
> 「涕」と「洟」の読み解きありがとうございました。
>
> 別件ですが、「何処やらに鶴の声聞く霞かな」
>
> この「処」は、どんなものでしょう?
>
>
> 「何」は、どうでしょう?
>
>
> ・・
>
> 適有孤鶴、横江東来。翅如車輪、
> 玄裳縞衣、戛然長鳴、掠予舟而西也。
 
 

・・

 投稿者:山田  投稿日:2017年 8月19日(土)19時32分33秒
返信・引用
  たごの浦や汀の藤の
咲きしより。波の花さへ色に出でつゝ。

・・

多胡の浦。底さへ匂ふ藤波を。藤
波を。かざして行かん。見ぬ人のためと

・・
 

濃き雲・・・霞・・・夏(カ)住み

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月19日(土)09時39分15秒
返信・引用
  中山寺
    wikipediaによれば、花山天皇は出家後、奈良時代初期に徳道上人が観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承があった摂津国の「中山寺」で宝印を探し出し、そこから巡礼を開始されたという伝承があるようです。
    この中山寺が、なんと「第24番」札所のお寺なのです。しかも山号が「紫雲山」と言います。「24」は「父なる神=天地創造の神=万軍の主イスラエルの神」を象徴する数字です。しかも山号の「紫雲」ですが、「紫」は高貴な方の色です。また、「雲」は旧約聖書に何度も出てきますが、父なる神様である万軍の主イスラエルの神様のお住まいです。
列王紀略 上  第8章12節
   「ここにおいて、ソロモンいいへるは、エホバは濃き雲の中に居らんといいたまへり」

「紫」
紫 カナンの子孫 フェニキヤ人 ヒッタイト http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3713
日本では推古天皇16年(608年)に隋使裴世清を朝庭に迎えたとき、皇子・諸王・諸臣の衣服が「錦・紫・繍・織と五色の綾羅」であった、とするのが紫の初見である[7]。これより先、推古天皇11年(604年)制定の冠位十二階の最上位(大徳・小徳)の冠が紫だったとする学説があるが、史料には記されず、確証はない[8]。皇極天皇2年(643年)に蘇我蝦夷が私的に紫冠を子の入鹿に授けたことから、大臣の冠が紫であったことが知られる[9]。大化3年(647年)の七色十三階冠以降の服色規定では、紫を深紫(または黒紫)と浅紫(または赤紫)の2色に分け、深紫(黒紫)をより高貴な色とした[10]。道教が正式に受容されなかった日本では、高徳の僧侶に対して紫衣が許された(紫衣事件を参照。)。

その他文化に関する事柄[編集]
古代では繊維を紫色に染色する事は困難で、貴重な色とされてきた。紫が王や最上位を表すようになったのは、ローマ帝国皇帝が、ティルス紫で染めた礼服を使ったことに始まる。以来、ほとんどの国で、王位や最上位を表す色に紫を使うようになり、ローマ皇帝はその着衣に紫をまとった。なお、貴族や第2位を表す色には青が使われた。
こうした歴史の経緯により、紫は「王位」、「高級」の連想色となった。(⇔緑、藍色)
「ユダヤの王」といわれたイエス・キリストはその死に際して、紫の衣をまとわされたと伝えられる。これに準じてカトリック教会では四旬節に司祭が紫の帯をまとい、受難の日にはイエス像を紫の布で覆い隠す。

フェニキヤ人
フェニキアの紫と日本の紫-(昨日の続きです) フェニキアに興味があったので、ちょっと 調べてみました。 http://ameblo.jp/miracleworker007/entry-11731389226.html
佐賀県の吉野ヶ里遺跡から、アッキガイ科のアカニシ貝の貝紫で染められた古代の布が発見されたそうです。
貝紫の製法は、ティルスの秘伝で、ローマ人が何度も真似ようとしたけどできなかったらしいのに、どうして日本に貝紫があったのでしょうか
邪馬台国で貝紫を染料として使っていたとしたら、その製法は、独自で発見したものなのか・・・・交易のためにやってきたフェニキア人が、教えたのか・・・・
もしフェニキア人が教えたとなると、2000年以上も昔に日本に来ていたことになります・・・・・・でも、ユダヤ人が2600年ぐらい前に日本にやってきたという説もあるので、優れた航海術をもっていたフェニキア人が来ていても不思議じゃないですよね・・・
ちなみに、インカやマヤでも、貝紫があったようなので、貝紫の歴史は、現在知られているよりも、何千年(何万年?)も古いかもしれません。

太陽信仰のバーラタ 族が、「神農」を祀るシュメール人と共に伝説の「夏」を建国したが、シュシャン人に指揮 された東北縄文人の軍団は「夏」を倒し、BC1400年頃に「殷」を建国したと考えられる。
フェニキヤ人の歴史http://p.booklog.jp/book/63004/read
「蝦夷のフェニキア人」
 「イボ人」の船団には、同じくエウボイア人の子孫であるナクソス島の「ナクソス人」も同行していた。両者は、日本神話では「長脛彦」と「安日彦」の兄弟として描かれている。つまり、「長脛彦」とはナクソス人のことであり、「安日彦」とはイボ人のことである。両者は、祖(エウボイア人)を同じくするので兄弟の例えにも納得できる。
 彼らのすぐ後、BC829年にアッシリア帝国に祖国を追われた一部の「アルメニア人」が「シェルデン人」を伴って日本に到着している。アルメニア人とは、テーベで「太陽神アメン」を祀っていたアムル人と「月の神コンス」を祀っていたサバエ人と、アナトリアで参加したフルリ人の連合である。「アルメニア人」と「シェルデン人」は、日本神話では「ニギハヤヒ命」と「サルタ彦」として登場する。「サルタ」とは「シェルデン」または「サルディー(ニャ)」が転訛したものである。つまり「サルタヒコ」とは「シェルデン人」を意味する。
 「神武天皇東征」の説話に於いては、「ニギハヤヒ命」は「長臑彦」と同盟を組んでいる。また、東北地方は、もともとBC3000年代からエラム人の土地だったが、BC2000年代にエラム人に率いられた東北・関東地方の縄文人が西方に大移動を開始している。中枢を司るエラム人のほとんどはこの時に東北を離れて富士山で浅間信仰の基礎を形成した。
 つまり、東北地方はガラ空きだった可能性がある。「エラム人」から蝦夷地を継承した「イボ人」は「陸奥安倍氏」として蝦夷地に君臨したが、祖を異にする女真の子孫、藤原氏の氏族に「俘囚」と呼ばれ、敵対した。じつは、「陸奥安倍氏」の中にはマゴ家の「天孫族」に参加した者もいた。彼らは、ブギス族やビン人と共に結成した「倭人」として活動中、九州周辺で天孫族に遭遇し、「天太玉命」として天孫族に参加している。彼らは、後に「忌部氏」となり、後裔の織田家から「織田信長」が輩出されている。
 他にも、別のフェニキア人が東北地方に進出している。まず、ヌビアの「クシュ人」が自身の名を冠した拠点「久慈」を残し、現地人にフェニキア文字のひとつ「エプシロン」を冠した。「エプシロン」は後に転訛して「エビス」となった。エビス族は、陸奥安倍氏がフェニキア文字のひとつ「エータ」を冠した部族「エゾ」と合流した。だが、漢字表記は「蝦夷」ひとつにまとめたため、「蝦夷」と言う表記に「エゾ」「エビス」など多数の読みが当時の名残りとして残された。因みに「エミシ」はエラム人の氏族である。
 「クシュ人」は、後に「久慈」を拠点にモンゴル高原に進出してカレリア人と連合して「キルギス人」を輩出し、タリム盆地にも進出して「亀茲国」を建設する。また、スラウェシ島のフォキス人「ブギス族」が北上を目指した航海を行った。この時、長江河口に到達したブギス族は、「越」に君臨していた「陸奥安倍氏」と連合し、東北地方に赴いて「アラハバキ」という天孫とは系譜を異にする神を祀った。「アラハ・バ・キ」とは、フェニキア文字の「アルパ」「ベータ」「ガンマ」を組み合わせたものである。ブギス族は陸奥安倍氏と共にベトナム、広東地方を根城に「百越」を形成し、更に海南島のルーベン族、レビ族なども「百越」に参加した。この「百越」は福建の「ビン人」に出会い、共同で九州に進出した。彼らは、後に「魏」を建国する東南アジアのフェニキア人連合「倭人」を結成する。
 「陸奥安倍氏」は、フェニキア人の伝統に則り、長江の現地人にフェニキア文字のひとつ「エータ」を冠したが、「ブギス族」も現地人にフェニキア文字のひとつ「ユプシロン」を冠した。「エータ」は後に転訛して「エツ」「エゾ」と呼ばれ、「ユプシロン」は「ユウ」と呼ばれた。両者の連合が「百越」として中国南部に君臨した際、漢字の「越」の読みに、日本語読みの「エツ」と中国語読みの「ユウ」が設定されたと考えられる。
 「アマハギ」とも呼ばれる「ナマハゲ」も東北に君臨したフェニキア人の名残りだと考えられる。天孫族(マゴ家)の「太陽神アメン(アマテラス)」とは異なる「太陽神アメン」の信仰を持ち込んだ「クシュ人」と、「アラハバキ」の神官であった「ブギス族」の名が組み合わされたものと考えられる。つまり、「アメ(ン)」と「ブギ(ス)」の組み合わせである。
 アメブギ」が、次第に「アマフギ」「アマフゲ」などと転訛し、最終的に「アマハギ」になったと考えられる。エジプトから来た「クシュ人」やインドネシアの「ブギス族」は来日した当時、顔立ちが濃く、色黒であったことから、それが鬼のイメージに結びついた。また、彼らが「太陽神アメン」や「アラハバキ」の信仰を説いてまわった当時の様子を含んだ東北住民の記憶が「ナマハゲの祭り」として再現されている可能性がある。
 

ぬぐい去る・・・ 試 シ・こころみる・ためす   

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月19日(土)09時18分20秒
返信・引用
  「拭浄ショクジョウ」(ぬぐい清める)
「弋ヨク」 <いぐるみ・くい> と 「式シキ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/1491d18da03e686c5454278547f7c7ca
解字 甲骨文はクイの象形であり杙くいの原字。原義での用例はなく、地名またはその長として用いられている[甲骨文字辞典]。弋は甲骨文から戈カ(ほこ)の字と似た形であり、現代字も戈からノを取ったかたちだが、戈との関連はないようだ。この字は、のち「いぐるみ」の意に仮借カシャ(当て字)された。「いぐるみ」とは、参考甲骨文字・雉チ(きじ)の矢の部分に紐がまきついている形が示しているように、紐をつけた矢のこと。弓でこの矢を鳥に向かって射て、矢の紐を鳥にからませて獲る猟に用いられた。この猟を描いた弋射図をみると、射手が鳥の群れに向かって弋矢ヨクヤを射て紐を鳥にからめる様子が描かれている。紐の末端にまるい重りのようなものが見え、紐が鳥に触れると重りが反動で鳥に巻きついたと思われる。
意味 (1)いぐるみ(弋)。鳥をとるために弋矢に紐をつないだもの。また、それで鳥を射る方法。「弋射ヨクシャ」「遊弋ユウヨク」(①いぐるみで鳥をとる遊猟。②艦船が海上を往復して警戒する) (2)とる。狩りをする。「弋猟ヨクリョウ」(狩りをする。弋は鳥の狩り、猟は獣の狩り) (3)くい。地中に打ち込むくい。
く い
杙 ヨク・くい  木部
解字 「木+弋(くい)」の会意形声。弋ヨクは元々くいの意だが、いぐるみの意となったので、これに木をつけて元の木のくいを表す。
意味 くい(杙)。牛などをつなぐくい(=弋)。「杙屋ヨクオク」(水上の家)
同体異字
鳶 エン・とび  鳥部
解字 甲骨文は、「戈(ほこ)+隹(とり)」の会意。武器の象形である戈(ほこ)と隹(とり)から成り、猛禽類を表している。武器を用いたのは猛々しさの象徴であろう[甲骨文字辞典]。金文は頭に戈の上半部をのせた鳥を描く。現代字は、戈⇒弋に変化した鳶になった。狩りをする猛禽類の鳥の意で、日本で「とび」を表す。発音のエンは円エン(まるい)に通じ、空をまるく円を描いて飛翔する鳥の意。
意味 (1)とび(鳶)。とんび。タカ科の猛禽。くちばしが鋭く曲がる。ほとんど羽ばたかずに尾羽で巧みに舵をとり、上昇気流に乗って輪を描きながら上空へ舞い上がり、餌を見つけると急降下して捕える。 (2)たこ。「風鳶フウエン」(鳶のかたちをした凧。いかのぼり) (3)とび色。とびの羽に似た茶色。 (4)[国]とび(鳶)。①鳶口とびくちの略。鳶のくちばしのような鉄のかぎをつけた消防用具。②消防夫。③高い足場で仕事をする工事に携わる者。「鳶職とびショク」
  式 シキ < だんどり・順序 >
式 シキ・ショク  弋部
解字 「工(工具)+弋」 の会意。弋ヨクは、杙(くい)。式は、工具を用いてクイを順番に設置して式場を整えること。ある一定の順序で行なって完成させることをいい、型やきまりにはめる意となる。
意味 (1)のり。きまり。やりかた。「形式ケイシキ」「様式ヨウシキ」 (2)儀式。一定の作法で行う行事。「「式典シキテン」「卒業式」 (3)敬礼する。 (4)計算の順序や方法を示したもの。「数式スウシキ」
だんどり・順序
試 シ・こころみる・ためす  言部
解字 「言(いう)+式(だんどり・順序)」 の会意形声。だんどりや順序を口で伝え、仕事のやり方を見ること。
意味 (1)ためす(試す)。こころみる。「試作シサク」「試合シアイ」 (2)ためして評価する。「試験シケン」「試問シモン」
拭 ショク・ぬぐう・ふく  扌部
解字 「扌(手)+式(だんどり・順序)」 の形声。だんどりよく手を動かして、きれいにしてゆくこと。ぬぐう・ふく意となる。
意味 ぬぐう(拭う)。ふく(拭く)。きよめる。「払拭フッショク」(すっかり取り除く)「拭目ショクモク」(目をぬぐって見る)「拭浄ショクジョウ」(ぬぐい清める)
弑 シ・シイ  弋部
解字 「?(ころす)+式(順序)」の会意形声。相手を殺して順序を変えること。
意味 (1)シイする。臣が君主を、子が親を殺すこと。「弑逆シギャク・シイギャク」(=弑虐シギャク・シイギャク) (2)ころす。

戈は部首戈部を作る。武器や戈を使った儀礼に関することを表す意符として用いられるhttp://dic.nicovideo.jp/a/%E6%88%88
戈とは、槍・矛の一種で柄に対して直角についた剣がついた武器である。
古代東アジアで作られた。多くは青銅製である。
中国では殷代から戦国時代のころによく作られ、秦漢以後ではほとんど用いられることはなくなった。日本へは朝鮮を経由して伝わった。

弋射の図
輪を描く
計算の順序や方法を示したもの。「数式スウシキ」

拭 ショク・ぬぐう・ふく  扌部
解字 「扌(手)+式(だんどり・順序)」 の形声。だんどりよく手を動かして、きれいにしてゆくこと。ぬぐう・ふく意となる。
意味 ぬぐう(拭う)。ふく(拭く)。きよめる。「払拭フッショク」(すっかり取り除く)「拭目ショクモク」(目をぬぐって見る)「拭浄ショクジョウ」(ぬぐい清める)
弑 シ・シイ  弋部
解字 「?(ころす)+式(順序)」の会意形声。相手を殺して順序を変えること。
意味 (1)シイする。臣が君主を、子が親を殺すこと。「弑逆シギャク・シイギャク」(=弑虐シギャク・シイギャク) (2)ころす。

ぬぐい清める
ころす。

ヘト人,アモリ人,カナン人,ペリジ人,ヒビ人,エブス人は,あなたの神,主が命じられた ように必ず滅ぼし尽くさねばならない」。―申命記 ... 女子供までを殺したことについては 、理由があります。民数記25章には、ミディアン人の女たちの誘惑に屈した男たちが エホバに背き、処刑された事件が記録されています。
「カナン人はその悪行ゆえに処罰を受けることになりました。イスラエル軍は神の刑執行隊でした。これは将来のハルマゲドンの予表であり、イエスは天使たちの軍勢と共に神の刑執行隊として全地に処罰を下します。」
イスラエル軍は神の執行部隊
将来のハルマゲドンの予表
イエスは天使達、神の執行部隊(イスラエル軍)とともに全地に処罰をくだします。

彼らは、国を無くした民族でした。ですので住んでいた土地を奪ったカナン人は憎くてたまらんのです。この気持ちはわかります。
しかし平和の宗教ではなく、イスラエル人のための宗教であり戦争を肯定する教えです。
ユダヤ人の平和のために、宗教として他の人種、宗教を壊滅させる事が教義に盛り込まれています。
唯一絶対神を主張する教はユダヤに限らず武力制裁を「善」としてます。非暴力で戦争などの争いを「悪」とする仏教系とはぜんぜん違います。

民数記25章には、ミディアン人の女たちの誘惑に屈した男たちがエホバに背き、処刑された事件が記録されています。女たちは異教の崇拝によって堕落しており、男たちを惑わしたのです。ミディアンに復しゅうした蔡、当初、イスラエル軍は女子供を生かしておきました。しかし、モーセは民数記31:15-18でこう言いました。
「そうしてモーセは彼らに言った,「あなた方は女をみな生かしておいたのですか。見なさい! この女たちが,バラムの言葉によってイスラエルの子らをいざなう者となり,ペオルの事件+でエホバに対し不忠実な行為をさせたのであり,そのためエホバの集会の上に神罰が臨んだのです。だから今,幼い者たちのうちすべての男子を殺し,男子と寝て男と交わりを持ったすべての女も殺しなさい。そして,あなた方のため,女のうちすべての幼い者,男子と寝ることをまだ知らない者たちを生かしておきなさい。」

申命記が書かれた頃のYHWHが、ただ単にユダヤ人の守護神 だったと言う事だと思います。
異民族(特に近隣のカァナン人)に 対しては、滅ぼさないとならないと言うのが当時のユダヤ人の 世界観だったと言う事ではないだろうか?

ヒッタイト帝国(ヤマタノオロチ)
『竹内文書』によると、古代の世界天皇(スメラミコト)は世界を統一していたとされているが、実際にヒッタイト人は鉄を駆使して古代オリエントに一大帝国を築いていた。
アブラハムの出身の「ウル」も牛を意味するシュメール語で、マルドゥクを信仰していた部族だったことは想像に難しくない。

「創世記」によれば「エサウは四十歳のとき、ヘテ人とベエリの娘ユデデとヘテ人とエロンの娘バスマテとを妻にめとった」とある。
エドム人とヒッタイト人が親密な関係にあったことを物語っているが、もっと言えば、エドムとヤコブはエラム系ヒッタイト人だった可能性が高い。
そして、ヤコブが正統なセムメ―ソンの「スメラミコト=スサノオ」の神権を継承したのである。
だが、本来は兄であるエドムが継承するべき神権だったという事なのだ。
そして、ソロモンが神殿に「契約の箱」を収めると、雲が神殿に満ち、ソロモンはこう言った。
「主は日を天に置かれた。
しかも主は自ら濃き雲の中に住まおうと言われた。
わたしはあなたのために高き家、とこしえのみすまいを建てた」
同様に、スサノオが出雲で宮殿を建てた時にも雲が現れ、スサノオは日本で最初の和歌を詠んだ。
「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」

ソロモンの時代、ユダヤ教はまだ成立していなかった。
初代大王のサウルは、息子に「エシュバール」と名付け、バアル信仰を明らかにした。
バアルはカナン神話の主神で、10支族が崇拝していた黄金の子牛「アモン」と同一神である。
2代目のダビデは、バアルの偶像を寝床に入れ、ヒッタイト人の妻との間にソロモンをもうけた。
3代目のソロモンは神殿を建て、12頭の牛の像を3頭ずつ東西南北に向けて設置していた。
もっとも、アブラハムの時代から牡牛神を主神とする多神教だったのである。
また、ダビデがエブス人と同盟していたということも挙げられる。
しかし、南ユダ王国のヤハウェ一神教は根強く、南北は争いを繰り返していた。
ソロモンの死後は、再び南北は分裂し、10支族はアッシリアの捕虜として連行された。

真のヤハウェとは、エジプトの太陽神アメンであり、それはイスラエル10支族が崇拝していた黄金の子牛アモン(バアル)であり、源泉を辿ればシュメール神話の主神「マルドゥク」であり、日本神話でいう「スサノオ」である。

エラムのスサの王権「スメラミコト」を継承するイスラエル10支族(出雲族)は日本に渡来し、出雲王朝を築いていた。
その前に、ペルシアを征服して「スサの王」を名乗り、エジプトではファラオになって「アメンの子」を名乗り、世界を征服したアレクサンドロス大王との接点もあった。
彼もまた、ヒッタイト人の血を引くマケドニアの大王だった。
そのアレクサンドロスの後継的な役割を受け継いだのが10支族のガド族で、族長の「スサノオ」と呼ばれる人物が「帝」となったのである。
                       失われた真のフリーメーソンの系譜http://jew-beast.seesaa.net/article/153340031.html
 

神武以前の歴史

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月18日(金)21時57分43秒
返信・引用
  イスラエル人に追い払われる7つの民・・・七福神の1つエブス
夷とはカナ-ンのエブス人のことであり、昔から親しまれてきたエビスさまのことでした。http://8628.teacup.com/toraijin/bbs?http://8628.teacup.com/toraijin/bbs?
申命記」によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの民の1つであった[3]。また「民数記」では、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎないともされる[4]。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「フェニキア人」に符合する。

縄文時代から弥生時代にかけての幾時代にも渡る、このような新しい民族の渡来ごとに新渡来人は、先住民である港川人・オロッコ人・ツングース(アイヌ人)・アエタ族らの縄文人を戦闘で打ち負かし、すべて捕虜にしました。
この捕虜達は、不必要に殺されず、できるだけ生かして、新文化の建設に活用されていきました。
日本人の先祖は、殷の時代から「南倭人」とも呼ばれ、南方からフェニキア人の船に乗り鉄文化と弥生農業を携えて渡来した夷人であり、「夷」をエミシとよんでいたのは、夷とはカナ-ンのエブス人のことであり、昔から親しまれてきたエビスさまのことでした。
 

霞(果墨)・・・インク  ぬぐい去る・・・エブス人?

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月18日(金)21時42分38秒
返信・引用
  エホバは象徴的な意味で,「だれでもわたしに罪をおかした者,その者をわたしは自分の書の中からぬぐい去る」

インクの旗(ヘブライ語: ?????? ?????????(デゲル・ハ=ディオ)、The Ink Flag(ザ・インク・フラッグ))とは、第一次中東戦争中の1949年3月10日、ウム・アル=ラシラシ(現エイラート)を占領したイスラエル兵が掲揚したイスラエル国旗、またはその場面をとらえた写真の名称である。イスラエルにおいてこの写真は第一次中東戦争を象徴する写真となり、イスラエル版「硫黄島の星条旗」となった。[

インク. (Ink). エレミヤ 36章18節にただ1回出て来るヘブライ語のデヨーという言葉は, 恐らくエジプト語からの借用語でしょう。 ... ユダヤ古代誌,XII,89 [ii,11])もしもインク の中に植物の汁や染料が使われたのであれば,それは朽ちやすい性質のものなので,  ...
インクhttps://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002172
(Ink)
エレミヤ 36章18節にただ1回出て来るヘブライ語のデヨーという言葉は,恐らくエジプト語からの借用語でしょう。クリスチャン・ギリシャ語聖書には,メランという語は3回しか出て来ませんが(コリ二 3:3; ヨハ二 12; ヨハ三 13),これは「黒い」という意味の男性形容詞メラスの中性形です。―マタ 5:36; 啓 6:5,12。
一般的に言って,インクはゴム,ニカワ,あるいはワニスを含む媒体の中に分散させた顔料または着色料でできていました。ゴム,ニカワ,ワニスは顔料を分散させる媒体つまり展色剤として,また塗った表面に顔料を付着させるための固着剤としての働きをしました。インクの最古の製法やこれまでに見つかった最古の標本によると,顔料は炭素質の黒色のもので,油や木を燃やして取られた非結晶体のすす,あるいは動植物から取られた結晶状の炭であったことが分かります。赤インクの顔料は酸化鉄でした。古代人はある種の着色剤も使用しました。ヨセフスはプトレマイオス・フィラデルフォスに送られた律法の写しが金文字で記されていたと述べています。(ユダヤ古代誌,XII,89 [ii,11])もしもインクの中に植物の汁や染料が使われたのであれば,それは朽ちやすい性質のものなので,ずっと昔に消えてしまったことになります。
最良のインクを作るには,顔料を粉末にして展色剤の中に分散させるのに多くの時間をかけなければなりませんでした。次いで,インクは乾燥させた固まりや棒状にして保存し,書記は使用する段になると,それを十分に湿らせてから筆や葦に含ませるのが普通でした。
中国のインクは最も色が濃く,最も消えにくいものとして長いあいだ評判を博しました。そのインクのあるもので書かれた文書は,数週間水に浸しても消えません。一方,水を含ませたスポンジや湿った布で消すことができるように作られたインクもありました。エホバは象徴的な意味で,「だれでもわたしに罪をおかした者,その者をわたしは自分の書の中からぬぐい去る」と言われた時,こうした点を根拠にしておられたのかもしれません。―出 32:33。民 5:23; 詩 109:13,14も参照。

ぬぐい去る"を使った例文、翻訳メモリ. add example. ja 祭司はその女性をエホバの前 に立たせ,聖なる水(清浄で,新鮮な水と思われる)を取り,幕屋の床にある塵を幾らかその 中に振り掛け,のろいの言葉を書き記して,それを洗う,つまりその中にぬぐい去ります。
ぬぐい去るhttps://ja.glosbe.com/ja/en/%E3%81%AC%E3%81%90%E3%81%84%E5%8E%BB%E3%82%8B
サタンの邪悪な事物の体制は,その偽りの宗教,腐敗した政治,貪欲で不正直な商業,および破壊的な軍隊もろとも,すべてが永久にぬぐい去られます。(

創世記 6:7‐9,13; 18:20‐32; 19:24)神によるこれらの裁きによって,矯正不能なほど邪悪な人々はぬぐい去られましたが,神の目に正しい人々は保護されて生き延びました。

ユダヤ人はどうして人類に対して邪悪なこと ばかりするのでしょうか? 古来から虐げられてきたので、復讐しようとしているからです か?https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11139933926?__ysp=6YKq5oKq44Gq5Lq644CFICDjg6bjg4Djg6Q%3D
古来から虐げられてきたので、復讐しようとしているからですか? >それは在ると思うよ。
聖書の文言はユダヤ人のそうした復讐心を反映しているのでしょう。
ニーチェはキリスト教やユダヤ教は憎悪の宗教だと指摘している。ユダヤ教に由来する憎悪感や復讐感情をキリスト教も継いだ。
神が殺せと命じるとき
モーセは、戦いを終えて帰還した軍の指揮官たち、千人隊長、百人隊長に向かって怒り、かれらにこう言った。「女たちを皆、生かしておいたのか。ペオルの事件は、この女たちがバラムにそそのかされ、イスラエルの人々をヤーヴェに背かせて引き起こしたもので、そのためにヤーヴェの共同体に災いが下ったではないか。直ちに、子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、あなたたちのために生かしておくがよい。」
(民数記 31章14~18節)

エブス人とは http://www.weblio.jp/content/%E3%82%A8%E3%83%96%E3%82%B9%E4%BA%BA

エブス. [恐らく,「踏みにじる; 踏みつける」を意味する語根に由来],エブス人(エブスじん )(Jebus,Jebusite). エブスは古代のエブス人の都市であり,今日エルサレムとして知 られている場所にありました。https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200002352
,「エブス」というのはエルサレムの縮約形ではなく,むしろ一時期そこに居住した民の名,つまりエブス人という名称の縮約形であるとする点で,一般に意見の一致を見ています。ダビデがシオンのこのとりでを攻め取ってそこに王居を構えてから,この場所は時折「“ダビデの都市”」と呼ばれました。―サム二 5:7。
この都市と周辺地域に居住していたエブス人はハムとカナンの子孫でした。(創 10:15,16,20; 代一 1:13,14)近縁の民(ヒッタイト人,ギルガシ人,アモリ人,カナン人,ペリジ人,ヒビ人)と共に名前が挙げられている場合,エブス人はおおむね最後に置かれていますが,これは数が最も少なかったためかもしれません。(申 7:1; 裁 3:5)エブス人は山地に住む民の部類に入れられており(民 13:29),その地は比喩的に,「乳と蜜の流れる地」と言われています。―出 3:8,17。
エホバは,アブラハムとその胤にエブス人の地を与えることを,アブラハムに約束されました。(創 15:18‐21; ネヘ 9:8)この約束を果たすに当たって,エホバはご自分の選びの民をエジプトから携え出し,その民がヨルダンを渡る際には,ご自分の使いを先立って行かせました。また,民が強い者となって,抵抗するすべての者を打ち払うよう命じました。(出 13:3‐5; 23:23; 33:1,2)神の民は,エブス人や他のカナン人といかなる契約も姻戚関係も結んではなりませんでした。むしろ,彼らを全き滅びのためにささげ,息あるものをいっさい生かしておいてはなりませんでした。『それは,彼らがすべての忌むべき事柄をあなた方に教えて行なわせることのないため』でした。―出 34:11‐16; 申 20:16‐18。
エブス人の王アドニ・ツェデクは,イスラエル人がその地の取得 ― エリコとアイの攻略,およびギベオン人の降伏 ― を首尾よく成し遂げてゆくのを見て,その侵入を阻止しようと決意した5人の王の同盟の先頭に立ちました。(ヨシュ 9:1,2; 10:1‐5)その後に生じた戦闘の最中,エホバは太陽と月をとどまらせ,同盟軍は撃ち破られました。そして,王たちは捕らえられて死に処され,その死体はすべての者に対するみせしめとして杭に掛けられました。(ヨシュ 10:6‐27; 12:7,8,10)イスラエル人がエブスに火を放ち,これを焼き払ったのは,この勝利の後であったのかもしれません。―裁 1:8。
約束の地の南部と中央部を平定する戦いが終了すると,ヨシュアは次に,ヨルダンの西の地域の北方の部分に注意を向けました。エブス人は再び抵抗し,このたびはハツォルの王ヤビンの旗の下に集結しました。イスラエルはまたしてもエホバの助けによって彼らを撃ち破りました。(ヨシュ 11:1‐8)それにもかかわらず,エブスが焼かれてから土地の分配が行なわれるまでの期間のどこかで,エブス人は戦略上重要なエルサレムの高台を再び支配下に置き,そこを400年のあいだ保有しました。―ヨシュ 15:63。
土地が配分された際,エブスの都市はベニヤミン族に割り当てられ,ユダとベニヤミンの部族の領地が接する境界の真上に位置することになりました。(ヨシュ 15:1‐8; 18:11,15,16,25‐28)しかし,イスラエル人はエブス人を打ち払わず,かえって自分たちの息子や娘に異民族結婚を許し,エブス人の偽りの神々を崇拝することまでしました。(裁 1:21; 3:5,6)その時代中,そこは「異国人の都市」のままで,ある時など一人のレビ人はそこに泊まろうとはしませんでした。―裁 19:10‐12。
ついに西暦前1070年,ダビデはエブス人のとりでであるシオンを征服しました。(サム二 5:6‐9; 代一 11:4‐8)後日,ダビデは,アラウナ(オルナン)という名のエブス人から,北側にある脱穀場を買い取り,そこに祭壇を築いて特別の犠牲をささげました。(サム二 24:16‐25; 代一 21:15,18‐28)年月を経た後に,ソロモンが多大の費用をかけた神殿を建てたのはその敷地でした。(代二 3:1)その後,ソロモンはエブス人の子孫を大建築計画に従事させ,奴隷として働かせました。―王一 9:20,21; 代二 8:7,8。
エブス人に関する最後の言及から分かる点として,イスラエルがバビロンへの流刑から帰還した時にも,彼らは依然イスラエル人の崇拝を汚す一つの民族集団として存在していました。―エズ 9:1,2。

蝦夷」=カナン先住民のエブス人・・・フェニキア人 http://8220.teacup.com/toraijin/bbs/2007
カナン人は、フェニキア人に符合
カナンのエブス人が住んだ町http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0
サレム(英語:Salem)は旧約聖書に登場する地名で、エルサレムを指す古称の一つである。「平和」「平安」を意味するシャーレームが語源であるという説や、この場所で礼拝された異教の神にちなんでいるという説もある[1]。
本来、カナンのエブス人が住んだ町で、南東丘をさす「シオン」とも呼ばれた。創世記に登場する王と祭司を兼務したメルキゼデクは、その町の代表者として、アブラハムに戦勝の祝福の言葉を述べた。新約聖書のヘブル人への手紙でもメルキゼデクは「サレムの王、すなわち平和の王」と言及されている ダビデが先住民のエブス人を追放してから、イスラエル人が住むことになり、エルサレムと呼ばれるようになった。

カナン、あるいはカナアン(ヘブライ語: ????? K?nā‘an クナーアン、英語:Canaan)とは、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の古代の地名である。聖書で「乳と蜜の流れる場所」と描写され、神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、約束の地とも呼ばれる。現代のカナンに関する知識の多くは、1928年に再発見された都市ウガリットの発掘調査によってもたらされた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3
カナンという名称の起源は不明であるが、文献への登場は紀元前3千年紀とたいへん古い。シュメール人の都市マリの紀元前18世紀の残骸で発見された文書では、政治的な共同体として明瞭に見いだされる[1]。
紀元前2千年紀には古代エジプト王朝の州の名称として使われた。その領域は、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海からガザまでを含む[2]。
カナンはイスラエル人到来前には民族的に多様な土地であり、「申命記」によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの民の1つであった[3]。また「民数記」では、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎないともされる[4]。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「フェニキア人」に符合する。

カナン人は実際にはイスラエル人と混住し通婚した。ヘブライ語はカナン人から学んだものである(イスラエル王国を参照)。
カナン人は近東の広範な地域において、商人としての評判を獲得していた。メソポタミアの都市ヌジで発見された銘板では、赤あるいは紫の染料の同義語として "Kinahnu" の用語が使われ、どうやら有名なカナン人の輸出商品を指すらしい。これもまた、「ツロの紫」で知られるフェニキア人と関連付けることが可能である。染料は大抵の場合、その出身地にちなんだ名を付けられた(シャンパンのように)。同様に、旧約聖書に時折例示されるように、「カナン人」は商人の同義語として用いられ、カナン人を熟知した者によってその容貌が示唆されたものと思われる。

約3500年前、フェニキア人・エブス人・ヒッタイト人らが、タルシシ船で渡来し国東半島へ 製鉄基地を築いて「殷文化圏」に鉄製品を供給し始め、それを呼び水にして水田稲作 文化をもったシュメール人と苗族が日本列島に上陸し始めました。http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/200706160000/http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/200706160000/
長い縄文時代の後、弥生文化の新時代が到来し、人口も急激に増加しました。
続いて3100年前、エブス人・ヒッタイト人及び殷人らが豊ノ国(東表国・都は宇佐八幡宮)を打ち建てました。
これが私達の国第一王朝の始まりでありました。
そして、その金属文化を伴う水田稲作農業文化は、王国の拡大とともに急速に日本列島全体へ普及していきました。
縄文時代から弥生時代にかけての幾時代にも渡る、このような新しい民族の渡来ごとに新渡来人は、先住民である港川人・オロッコ人・ツングース(アイヌ人)・アエタ族らの縄文人を戦闘で打ち負かし、すべて捕虜にしました。
この捕虜達は、不必要に殺されず、できるだけ生かして、新文化の建設に活用されていきました。
日本人の先祖は、殷の時代から「南倭人」とも呼ばれ、南方からフェニキア人の船に乗り鉄文化と弥生農業を携えて渡来した夷人であり、「夷」をエミシとよんでいたのは、夷とはカナ-ンのエブス人のことであり、昔から親しまれてきたエビスさまのことでした。
実は、宇佐八幡では東表国の建国史を伝える秘儀が放生会として3000年以上も連綿と現在も続けられています。日本最古の儀礼です。
人形浄瑠璃などは、古代インドから渡来したクシャトリアの漂白民で男性は狩猟女性は遊女を業として、かたわら人形を舞わす芸を演じていたものが発展したものです。
またタタラ製鉄文化は、七福神を祭る「戎神社」や海洋民が崇拝する「金毘羅信仰」なども、その名残です。
エブス人・ユダヤ人などの弥生人である商人たちは、海岸縁に居を構え、縄文人のテリトリーを決して侵すようなことをしませんでしたから、港川人・オロッコ人・アイヌ人アエタ族などの多くの農民に親しまれ、「村の鍛冶屋」への各種の鍛鉄製品(農器具)を運びました。
その由来は、「エビスさま(エブス人)・大黒(アブラハム→ダビデ→ソロモン)さまとして現在でも日本の各家庭に祭られています。
弥生文化を先住民が受け入れ、各地の気候や風土に合うように改良されて普及するまでには1000年もの年月がかかったようです。
そしてこの千年が天の王朝として神武以前の歴史が日本に存在したのでした。
 

Re: 何処やらに

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月18日(金)20時30分59秒
返信・引用
  > No.3610[元記事へ]

山田さんへのお返事です。

>
> 別件ですが、「何処やらに鶴の声聞く霞かな」
>
> この「処」は、どんなものでしょう?
>
>
> 「何」は、どうでしょう?
>
>
> ・・
>
> 適有孤鶴、横江東来。翅如車輪、
> 玄裳縞衣、戛然長鳴、掠予舟而西也。


、「何処(測量現場)やらに鶴(測量士)の声聞く霞(ユダヤ)かな」

>進・・・大いに飛ぶ隹(鳥)・・・大(台)鳥・・・ヤタガラス?
賁は声義とも 通じた字。 字形: 諸説ある。〔説文解字〕は「奞(スイ)の田上 に在るに從ふ」と、奞+田の 会意で、大いに飛ぶ意味とする。
大いに飛ぶ・・・進
隹   集
艸  人々が群がり集まっていることでもある。
始 シ・はじめる・はじまるhttp://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3032

叚 カ、「ヨ(右手の略体)+又(て)」と「コ(ヨの略体)+又」の二種があったが、現代字では「コ+又」が残った。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/6d90ce4db006081f7eefa6961f7245cd
叚(表面をおおう)
蝦 カ・えび  虫部
解字 「虫(小動物)+叚(表面がざらざらしている)」の会意形声。表面がざらざらしているエビ。おなじくガマガエルの意ともなる。
意味 (1)えび(蝦)。エビ科の甲殻類の総称。 (2)がま。蛙の一種。「蝦蟇がま」(ヒキガエルの別称。背面に多くのイボがある) (3)「蝦夷えぞ」とは、①北海道の古称。②古代、東北地方から北海道にかけて住み、朝廷に従わなかった民族。えみし(蝦夷)。

この「処」は、どんなものでしょう?

「亢コウ」 <まっすぐ立つ>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0e22759fe58a590acb12bb367f9b276f
解字 人が脚をふんばって真っすぐに立つ姿の象形。甲骨文と金文は、脚に斜線を加えてふんばる様子を表している。すっくと立った時の気持ちが高ぶったさまを表わす。
意味 (1)たかぶる(亢ぶる)。「亢進コウシン」(神経などがたかぶり進む)「亢奮コウフン」(=興奮) (2)のど(=吭)。
イメージ  人が脚をふんばって 「まっすぐ立つ」 (亢・抗)
       「まっすぐ」 (坑・航・杭・吭)
まっすぐ
坑 コウ・あな  土部
解字 「土(つち)+亢(まっすぐ)」 の会意形声。土をまっすぐ掘った穴。
意味 (1)あな(坑)。地中に掘ったあな。「炭坑タンコウ」「坑道コウドウ」 (2)穴埋めにする。「坑儒コウジュ」(儒学者を穴にうめる)
航 コウ・わたる  船部
解字 「舟(ふね)+亢(まっすぐ)」 の会意形声。船でまっすぐ行くこと。
意味 (1)わたる(航る)。船がすすむ。「航海コウカイ」「航行コウコウ」「航跡コウセキ」 (2)空をすすむ。「航空コウクウ」
杭 コウ・くい  木部
解字 「木(き)+亢(まっすぐ)」 の会意形声。木の船がまっすぐ進む。船でわたる意となる。日本では、まっすぐ立てた木の棒の意味。
意味 (1)わたる。船でわたる(=航)。「杭州コウシュウ」(大運河の南の起点で、船でわたる出発の地) (2)[国]くい(杭)。地中に打ち込んで目印や支柱にする棒。「杭打ち」
吭 コウ・のど  口部
解字 「口(くち)+亢(まっすぐ)」 の会意形声。口からまっすぐ下にのびるのど

起点

「夂」と「几」
「几」は肘掛けなり台http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0245/

「処」は、「台」・・・占う

肘・・・ム

ム・厷 コウ 解字 甲骨文は手からのびる前腕の下方に〇印をつけ、そこが「ひじ」である ことを示している。篆文第一字は、腕をまげたかたちで「ひじ」を表し、第二字は、「又( 右手)+ムコウ(ひじを曲げた形)」の会意形声で、右手のひじを表す。http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/f51988c708ac88a42751dc79b367cae3
ムコウ(ひじを曲げた形)
まげる
勾 コウ・まがる  勹部
解字 「勹(身体をまげる形)+ム(まげる)」の会意形声。勹は人が身体をまげる形。さらにム(まげる)が付き、まがる意を表す。また、同音である拘コウ(とらえる)に通じ、とらえる意も表す。日本では、降コウ(おりる)に通じ、傾斜の度合いを表す。

巨大なピラミッドの四方向から傾斜角をもって、天頂で一点に結集するという、一分の 狂いも許さない精密な土木工事を成し遂げているところから、想像以上に高度な測定 技術が存在した可能性を否定することはできない。http://www.hannan-u.ac.jp/doctor/tourism/kitamura/mrrf43000000s29k.html
長い桶に水を張り、両側に「舟」のような板を浮かべ、その上に立てたメモリ付きの柱を見通して水平を見る技術です。

『撞柱』と、撞舞が行われる時に舞男やお囃子などの方々が乗る『舟』が造り上げられ ます。

撞舞(つくまい)は命綱もなしに、14メートルの柱の上をカエルの格好をした鳶職が、宙を 舞う、もともとは、雨乞いの祭りだという。 撞舞( ... 万葉歌碑 潮舟(しほふね)の舳越(へ こ)そ白波にはしくも負(お)ふせたまほか思はへなくに(巻20-4389)http://blog.goo.ne.jp/mr_asuka/e/53d94be0383ff82fffef32e9c49c2dd6

茨城県竜ケ崎市、千葉県野田市などに「撞舞[つくまい]」という 伝統芸能があるが、これは高さ14メートルほどの帆柱に見立てた柱に命綱 ...
沢(川)登り 山伏修験道http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/128
古代では境界は山です。山の分水嶺が境界線になります。例えば安積郡と岩瀬郡の境界は 、安積郡の笹原川でもなければ岩瀬郡の滑川でもありません。笹原川と滑川の間の丘陵 地帯のもっとも標高の高い所を結んだ線になります。 ...
http://blogs.yahoo.co.jp/asakayama1000/20843445.html

>卦
六十四卦の第五十卦は火風鼎(かふうてい)です。http://ekisenzinja.ehoh.net/page125.html

アリダードは元々は色々な型式の科学的、天文学的な装置の一部であった。 ある時代には、ある種のアリダードは、とりわけ目盛りを付けた円弧で使用されたものは、 ディオプター (diopter) と呼ばれた。このような装置にはアストロラーベがある。 (訳注:アストロラーベの裏面の機能のことと思われます。) 現代の技術では、 アリダードの用語は平板アリダードのような完全な装置に使用される http://mailsrv.nara-edu.ac.jp/~asait/kuiper_belt/survey/alidade.htm
視準板のどちらにも長方形の穴が開いており、細いワイヤーが開口部に垂直に取り付け られている。

3本の脚で支えられ、2つの耳のついた金属製の容器。


「卦カ」 <うらなう> と 「封ホウ」 <ほうじる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/37c02bdf5abc736939b85cbdb1225c08
解字 「卜(うらない)+圭(=挂。ひっかける)」の会意形声。卜(うらない)の筮竹ゼイチク(竹の細い棒)50本を手指でひっかけ、占うことを思い浮かべながら何本か取り出すこと。とりだした本数から8本ずつ取ってゆき、最後に残った8本以下の数で卦カ(うらかた。占いの結果)が出る。(挂ケイは下の<参照>に解字あり)
意味 うらかた(占形)。占いのしるし。易で吉凶を判断するもととなるもの。「卦兆カチョウ」(占いに現れた兆し)「八卦ハッケ」(占いの結果が現れる8つの形。転じて、占い)「卦体ケタイ」(うらないの結果)「卦体ケッタイ」(奇妙な。変な。関西でもちいる方言)
イメージ 「うらないの結果」(卦・罫)
      「うらないの動作」(掛)
うらないの結果
罫 ケイ・カイ  罒部
解字 「罒(=网モウ。あみの目)+卦(うらないの結果)」の会意形声。占いの結果を網目状のマスに記すこと。転じて、網目状の碁盤などの縦横の線や、ノートの線をいう。
意味 (1)すじめ。わく。格子状の線。将棋や囲碁の盤にある線。 (2)[国]文字をまっすぐ書くために引いた線。「罫線ケイセン」(文字の行間などに引く線)「罫紙ケイシ」(線をひいた紙)
占いの動作
掛 カ・カイ・かける・かかる・かかり  扌部
解字 「扌(て)+卦カ(占いの動作)」の会意形声。占いの筮竹ゼイチクを指に掛けて分ける動作を扌(手)をつけて表した。占いの特殊用語であったが、日本では挂ケイ・カイ(かける・ひっかける)と通用し、この意味で使われる。さらに、日本的な使い方も多い。なお、現代中国では使われていない(挂ケイ・カイの異体字となっている)。
意味 (1)かける(掛ける)。かかる(掛かる)。つりさげる。「掛軸かけじく」 (2)[国]かける(掛ける)。かかわる。掛け算をする。腰を掛ける。「掛詞かけことば」 (3)かかり(掛)。かかわる。「出納掛スイトウがかり」 (3)[国]かけ(掛け)。金銭の支払いをあとでする売買。「掛売(かけう)り」

かなめ【要】 という言葉は 扇子の骨を止める部分https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10152146745?__ysp=44GL44Gq44KB44CQ6KaB44CRIOOBqOOBhOOBhuiogOiRieOBryDmiYflrZDjga7pqqjjgpLmraI%3D
几(腰掛け)

 「処ショ」 <腰をおちつける>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e6f93dd390b8064730a52c5e97f26e9d
解字 金文は虎の皮をかぶって劇の所作をする者が几(腰掛け)に腰をかけて足をおろしている形。「そこにいる」「いる場所」を示す。篆文から「虎の略体+夂(あし)+几」となり、旧字の處に続くが、篆文で虎の上部を省いた略字「夂+几=処」も登場し、これが現代の新字体となった。
意味 (1)おる(処る)。いる。「処世ショセイ」(世間の中で生きていく) (2)ところ(処)。場所。「居処キョショ」「随処ズイショ」「処処ショショ」(あちらこちら) (3)とりはからう。しょする(処する)。「処置ショチ」(とりさばく)「処分ショブン」(いらないものを始末する。罰する)「処罰ショバツ」 (4)世間に出ないで家にいる。「処女ショジョ」「処士ショシ」(仕官しない人)
イメージ  腰を 「おちつける」 (処・拠)

>「何」は、どうでしょう?

「荷」と「可」
『説文解字』⇒「何」は《人部》に分類され、「儋也。従人可声。」=「儋(タン)―になう(荷う)なり。人と可から成り立ち、可を音とする。」と記す。http://mei2jikai.blog113.fc2.com/blog-entry-103.html
「何」の甲骨文に描かれているのは、右向きに描かれた人と天秤棒で、本来の字義は天秤棒もしくは運ぶというものであったと考えられる。
本来の字義は、担ぐための棒もしくは肩に担ぐ、あるいは運ぶというものであったのだろう。
拠[據]キョ・コ・よる  扌部
解字 「扌(手)+処(おちつける)」の会意。手などを使って、ある場所に座を占めてよりどころとすること。旧字は據で、「扌(手)+豦(キョ)」 の形声。キョは居キョ(いる・おる)に通じ、その場所に居てより所にする意。新字体の拠は、居と同じ意味をもつ処に置き換えた字。
意味 (1)よる(拠る)。たよる。たてこもる。「依拠イキョ」(依も拠も、たよる意)「占拠センキョ」「割拠カッキョ」 (2)よりどころ。あかし。「根拠コンキョ」「証拠ショウコ」「典拠テンキョ」 (3)金銭を出し合う。「拠出キョシュツ」

私的に
天秤棒・・・戈(カ、ほこ)・・・クロススタッフ
戈 かgehttps://kotobank.jp/word/%E6%88%88-42057

右向きに描かれた人・・・司・・・覘く(覘く)人

のぞく【覗く/覘く/窺く/臨く】とは。https://dictionary.goo.ne.jp/jn/171943/meaning/m0u/

占とは、占うという意味の字である。 占 - 実況プレイヤー ... 意味: 占う、問う、尋ねる、視 る、書き付ける、口授する、(佔と通じて)独占する、占有する、(覘と通じて)うかがう。http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8D%A0
字形卜+口の会意。卜は亀甲を灼いてできるヒビで凶兆を占うという字である。口が何を表すかは諸説あり、目鼻口の口であり問う意味とする説、祝詞を入れる祝器を表し祝詞を神に占う意味とする説がある。

神への祈りの言葉をいれた器・・・鼎・・・ アリダード

司 シ・つかさ 口部 解字 甲骨文は、「人の変形+口(神への言葉をいれる器)」 の会意。 ... へつげる」 (詞) 神へ祈りの言葉をつげて、 「神の意志をうかがう」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/289ab71a0eec58e2b520d495662b39cf
解字 甲骨文は、「人の変形+口(神への言葉をいれる器)」 の会意。神への祈りの言葉をいれた器を前に、手を出して祈る人の形で、祭りをつかさどる人の意。金文も同じ形。篆文から、祈る人は、人と手がはなれた刁になり、口を加えて司になった。
意味 (1)つかさどる(司る)。責任者として行なう。「司会シカイ」「司書シショ」「司法シホウ」 (2)つかさ(司)。役人。つとめ。「祭司サイシ」「国司コクシ」 (3)うかがう。
覗 シ・うかがう  見部
解字 「見(みる)+司(神の意志をうかがう)」の会意形声。神の意志をうかがうように、そっと見ること。のぞき見ること。
意味 うかがう(覗う)。のぞく(覗く)。そっと見る。

諸侯、國を嗣ぐなり、冊に従ひ、口に従ふ、司を聲とす。 ... 漢字源 字通. 注解: *1司は祝祷の器である (さい)を啓(ひら)いて神意を伺いみること、それを人事に 移して伺といい、また覗という。詞は神に訴え申す言葉、祠は祝告を主とする祭祀をいい 、 ...http://jigen.net/kanji/21987


【解字】会意兼形声。「穴+規」。音符の規(コンパスで穴をはかる)は、「はかる」の意からの派生語である。http://blog.goo.ne.jp/sh_tech/e/789c9238a36abf4369d8cb94c2169f6e
瓶覗き(かめのぞき)とは、白に近いごく薄い藍色。英語色名のペールアクア(ごくごく薄い水色)に近い。
藍色系統に属するが殆ど色味が無いため、オフホワイト(日本語の染色用語なら「白殺し」)に属すると考える場合も有る。

戈(カ、ほこ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%88
ポールウェポン(pole weapon)あるいはポールアーム(polearm)は、近接戦闘において使われる、木や金属などで出来た竿状の長い柄を持ち、その先端に石や鉄で出来た攻撃用の部品を備えた武器の総称。漢文では長兵、中国武術では長器械または長兵器、日本では長柄(ながえ、ちょうへい)武具、または長柄武器、棹状武器と称する。その歴史は大変古く、石器時代の狩猟道具にまでさかのぼることが出来る。 ポールウェポンを利用する目的は、攻撃範囲の拡大および武器を振り回したときの角運動量による打撃力の増加にある。

>賊 貝(鼎)戎

戎は「えびす」と読むらしい。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%81%B3%E3%81%99

戎禹http://www.weblio.jp/content/%E6%88%8E%E7%A6%B9

賊 貝(鼎)戎
「 賊(ぞく)」も「鼎5 件」を削ってしまう字です。「貝」(鼎)に「 戎 (じゅう)」を加えた字。「戎」は「戈」と「 干(たて)」を合わせた形で武器(ぶき)のことです。
鼎(かなえ)http://www.47news.jp/feature/47school/kanji/post_478.html

「戈カ」 <ほこ> と 「戍ジュ」 「戌ジュツ」 http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/75bbc5014584160dc9364889edcacae0
解字 長い柄を持つ武器であるほこの形の象形。一般に「ほこ」には「矛ム」と「戈カ」があるが、「矛」が槍と同じように穂先が柄と同じ向きにつくのに対し、「戈」は柄と直角に取り付けられ刃が柄の左右に出るのが特徴である。写真は左上が穂先、左下が柄尻、右下が全体像。
 甲骨文は戈を忠実に描いた形。第一図は柄尻が三本脚になっている。金文に至り柄尻と穂先に斜めの線が加わり、現代字の形がほぼ整った。
意味 (1)ほこ(戈)。長い柄の先端に両刃の穂先がついた武器。「戈甲カコウ」(ほことよろい) (2)いくさ。戦争。「戈船カセン」(いくさ船)
イメージ  「ほこ」 (戈・戍)
音の変化  カ:戈  ジュ:戍
滅 メツ・ほろびる・ほろぼす  氵部
解字 「氵(水)+火+戌(圧倒する)」 の会意。水をかけて火を圧倒する意。転じて、きえる・ほろびる意となる。
意味 (1)きえる。火や明かりが消える。「点滅テンメツ」 (2)ほろびる(滅びる)。ほろぼす(滅ぼす)。「滅亡メツボウ」「絶滅ゼツメツ」「滅菌メッキン」 (3)死ぬ。「入滅ニュウメツ」

運・・・軍隊

鼎(測斜儀)による平板測量http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3664

卜問するなり、卜と貝に従ふ、貝は以て贄(し)#5と為すなり、一に曰く、鼎 の省聲なり、http://jigen.net/kanji/35998
卜問・・・占い
鼎は、耳が立っていて対 http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%BC%8E
神への犠牲を煮るのに用いたことから神聖視され、祭器・礼器として扱われ、占いにも用いられた。また王侯の象徴として扱われた。鼎の軽重の話は有名である。
当と通じて、まさに、あたる、貞と通じて、正しい、という意味がある。

貞:鼎を横から見たところの象形。・・・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Liu_Ding.jpg

鼎(測斜儀)による平板測量・・・

兵(つわもの) - 兵士や軍人http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%85%B5

斧、手斧、まさかり、切る、明察、という意味がある
斤とは、尺貫法の質量の単位である。http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%96%A4

めいさつ【明察】とは。意味や解説、類語。[名](スル)1 はっきりと真相や事態を見抜く こと。「実情を明察する」https://dictionary.goo.ne.jp/jn/216610/meaning/m0u/

軍・・・兵士
「屯田トンデン」(平時は農耕、戦時は兵士になること)「 屯倉みやけ」( ... 解字 「阝(むら)+屯(寄りあつまる)」の会意形声。

字形廾+斤の会意。斧を両手で持つ意。

古事記は、古代史の謎を解くために必要な、さまざまな手がかりを秘めています。 測量 に関する暗号に至る道案内も、古事記の中に用意されています。http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0kodainosokuryou.htm
銅鐸出土地の位置関係へのこだわり

三脚鼎https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E4%B8%89%E8%84%9A%E9%BC%8E%2C%E4%B8%89%E5%8F%AA%E8%84%9A%E7%9A%84%E9%87%91%E5%B1%9E%E5%88%B6%E5%AE%B9%E5%99%A8

三本足のカラスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F

九鼎(きゅうてい)は、古代中国における王権の象徴。
鼎(かなえ)は鍋釜に相当する古代中国の三本足の金属器具で祭器としても利用された。伝説によれば夏の始祖禹王が九州(中国全土)に命じて集めさせた青銅をもって鋳造したものという(史記・封禅書)。夏最後の王、桀王が殷の湯王に滅ぼされたのちは殷室に、帝辛(紂王)が武王に滅ぼされてからは周室の所有となった。周の成王即位の折、周公旦は九鼎を雒邑(洛陽)に移し、ここを新都と定めたという(墨子・耕註)。「鼎を定む」(奠都すること)の成句はこの故事に由来する。
九鼎は周王朝37代にわたって保持され、それをもつものがすなわち天子とされた。周が秦に滅ぼされたとき、秦はこれを持ち帰ろうとしたが、混乱のさなか泗水の底に沈んで失われたという。秦朝は新たに玉璽を刻し、これを帝権の象徴とした。
 

何処やらに

 投稿者:山田  投稿日:2017年 8月13日(日)21時50分48秒
返信・引用 編集済
  >「弟テイ」 <順序よく巻く>
解字 甲骨文字は、武器であるほこ(戈)の柄(戈の刃がない形)に、すべり止めのため、なめし革の紐を巻いた形の象形。順序よく巻いてゆくので「順序よく」の意味がある。また、柄の部分は刃の下部なので、兄弟の順序の下にある「おとうと」を示す。現代字は上部がソ、紐を巻いた部分⇒弓に変化した弟になった。

・・

「涕」と「洟」の読み解きありがとうございました。

別件ですが、「何処やらに鶴の声聞く霞かな」

この「処」は、どんなものでしょう?


「何」は、どうでしょう?


・・

適有孤鶴、横江東来。翅如車輪、
玄裳縞衣、戛然長鳴、掠予舟而西也。
 

辵」+音符「斿」 ぶらぶらしている人・・・遊

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月 4日(金)12時42分36秒
返信・引用
  「斿 ユウ 方部 解字 甲骨文から金文まで「吹き流しのついた旗竿+子(こども)」の会意。 篆文から吹き流しが「方人」の形に変化した。現代字は、人⇒ノ一に変化した斿となった 。斿は、旗竿のまわりで遊ぶ子供たちの意となる。(
「斿ユウ」 <旗竿のまわりであそぶ子ども> と 「遊ユウ」http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/9bc43f20ebc42d567f4580555af26f9a
解字 甲骨文から金文まで「吹き流しのついた旗竿+子(こども)」の会意。篆文から吹き流しが「方人」の形に変化した。現代字は、人⇒ノ一に変化した斿となった。斿は、旗竿のまわりで遊ぶ子供たちの意となる。(篆文の斿は、游から抜きだして作成)
意味 はた。ふきながし。あそぶ。

イメージ   子供たちが旗竿のまわりで 「あそぶ」 (遊・游・蝣)
音の変化  ユウ:遊・游・蝣
子供
天子

挟輦将
方禹鼎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E7%A6%B9%E9%BC%8E


「辵チャク+車(=輦レン。大勢の 人がひく車)」 の会意。辵は、「彳(行く)+止(足)」 で、足で行く意。車は、ここでは輦レン の意味で、天子を乗せて大勢の人でひく車。
 「連レン」 <車を大勢の人で引いてゆく>
解字 篆文は 「辵チャク+車(=輦レン。大勢の人がひく車)」 の会意。辵は、「彳(行く)+止(足)」 で、足で行く意。車は、ここでは輦レンの意味で、天子を乗せて大勢の人でひく車。従って、連は人が並んで車をひいて道を行く形で、「つらなる」意味を表す。辵チャクは旧字で、二点しんにょうに、新字体で、一点しんにょうに変化した。

イメージ  「つらなる」 (連・蓮・漣・縺)
音の変化  レン:連・蓮・漣・縺
縺 レン・もつれる  糸部
解字 「糸(いと)+連の旧字(つらなる)」 の会意形声。糸が長く連なった状態は、からみあってもつれることが多い。
意味 (1)もつれる(縺れる)。糸がからみあう。もつれ。「縺縷レンル」(もつれた糸) (2)動作が正常さを失って自由にならない。「足が縺れる」

縺 レン・もつれる  糸部
解字 「糸(いと)+連の旧字(つらなる)」 の会意形声。糸が長く連なった状態は、からみあってもつれることが多い。
意味 (1)もつれる(縺れる)。糸がからみあう。もつれ。「縺縷レンル」(もつれた糸) (2)動作が正常さを失って自由にならない。「足が縺れる」

星. 座 は二 十八宿名の み朱で書かれ,他の 星座名 と星. を結ぶ 細線 はすべ. て 墨書 き,矩線 と E下規 も墨細.
江戸時代天球儀に示される特徴とその変遷http://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20170804120001.pdf?id=ART0007449850

天龠(星官)
斗宿https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%97%E5%AE%BF
旌旗

遊は旌旗の流れる様子からできたとあります。旌旗の動く様子は水 の流れるようである。そこで流れにも遊を使う。流れ行く者にも遊を使う。対象に情を 寄せる意味もある、、 泳ぐ浮かぶ:魚が遊ぶ、遊泳、回遊楽しむ、遊ぶ: ...https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10154231285?__ysp=5peM5peXIOmBig%3D%3D

禹域遊艸

「早ソウ」は夜明けの意、「艸ソウ」は、くさの意。この二つがなぜ一緒になって「草ソウ」 ができたのか。 早 ソウ <朝はやい> 早 ソウ・サッ・はやい・はやまる・はやめる 日部 解字 戦国古文(戦国時代に使われた字体。
「早ソウ」 「艸ソウ」 「草ソウ」 の関係http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/0aa636fa4402134a43ef24318898d570
解字 戦国古文(戦国時代に使われた字体。篆文の前の文字)は、「日(太陽)+十(こうら)」で、現代字と同じ早である。篆文は、十の部分が、Tに帽子をかぶせたような形に変化し、現代字は、再び戦国古文と同じ早となった。十は、こうら(甲羅)なので、解字は「日(太陽)+十(=甲:こうら)」 の会意となる。
 この字の解字は、まだ定まっていないようで、字典によりさまざまな解釈がある。中には全体をサジ(スプーン)の形だとし、はやい意は仮借カシャ(当て字)とする説もある(字統)が、これは無理がある。日の下部が甲であることは字形からも間違いない。
 解字の一つは、甲が甲乙丙~と続く十干の最初の文字であることから、甲を第一段階と位置付け、日(太陽)が昇ってくる最初の段階、すなわち、まだ日が昇るまえの夜明けを意味する、というものである。この説は覚えやすいし、それなりに説得力もある。しかし、こうした解字は甲の付く他の字では見当たらない。
 音符「甲」の一般的解字は、甲が甲羅であることから「かぶせる・おおう」イメージを使う。(音符「甲」を参照)。例えば、閘コウは、水門に板などをかぶせて水量を調節する閘門(水量を調整する水門)の意。匣コウ(はこ)は、「匚(はこ)+甲(かぶせる)」で、箱にふたをかぶせる意で、ふたのついた箱の意になる。そこで第二の解字は、かぶせるイメージを当てはめたもので、日(太陽)に甲羅をかぶせたように、日光がまだ直接差してこない夜明けの意となる。しかし、この解釈の難点は、甲羅をかぶせるならば何故甲が上にこないのか、ということだろう。しかし、閘の字は、門にかぶせるのに甲が門の中に入っているし、匣も、はこにかぶせるのに匚(はこ)の中に甲が入っているので、あまり気にしないでよいのかも知れない。
 以上、両説とも少し疑点の残る解字であるが、どちらがいいかは読者におまかせしたい。現在の字体は、篆文の、T字に帽子がかぶさったような形(甲)⇒十に変化した。ではなぜ、甲が現代字で十に変化したのだろうか。甲の古代文字をみてみよう。

甲骨文・金文第一字は、十の形をしている。これは亀の腹の甲に十字紋があることから甲羅を意味する。ところが篆文はT字に帽子がかぶさったような形に変形した。篆文の甲の部分が、「早」の字で十になったのは、古い字形に元返りしたかたちなのである。
意味 はやい(早い)。 (1)朝がはやい。よあけ。「早朝ソウチョウ」「早暁ソウギョウ」 (2)時期がはやい。「尚早ショウソウ」(いまだ早い)「早計ソウケイ」(はやまった計画。軽率な考え) (3)季節がはやい。「早春ソウシュン」「早稲わせ」(稲の品種のうち早く実るもの) (4)すぐに。「早急ソウキュウ」「早速サッソク」
艸 ソウ・くさ  艸部
解字 草の芽生えである屮テツを二つ合わせた形。並び生える草を表す。「くさ」の意味で使われていたが、のち艸が草冠として使われるようになり、新たに草の字が作られた。
意味 (1)くさ(艸)。くさの総称。 (2)くさかんむり(草冠)。旧字では「十十」、新字体では「十十」の横線をつなげた「?」で草の意味を表す。
卉 キ・くさ  十部
解字 草の芽生えである屮テツを二つ合わせた形。並び生える草を表す。「くさ」の意味で使われていたが、のち艸が草冠として使われるようになり、新たに草の字が作られた。
意味 (1)くさ(艸)。くさの総称。 (2)くさかんむり(草冠)。旧字では「十十」、新字体では「十十」の横線をつなげた「?」で草の意味を表す。
卉 キ・くさ  十部


賁 ヒ・フン・ホン 解字 篆文は「貝+芔キ」の会意。芔は草の芽がいっせいに出る形。賁は 、貝がぱっと水管から水を出す意で、「ふき出る」、噴き出たものが「盛りあがる」イメージ を持つ。現代字は上部が卉に変化した。
「賁フン」 <ふき出る>
解字 篆文は「貝+芔キ」の会意。芔は草の芽がいっせいに出る形。賁は、貝がぱっと水管から水を出す意で、「ふき出る」、噴き出たものが「盛りあがる」イメージを持つ。現代字は上部が卉に変化した。
イメージ    「ふき出る」 (噴・憤)
         噴き出たものが「盛りあがる」 (墳)
音の変化  フン:噴・憤・墳
墳 フン・はか  土部
解字 「土+賁(盛り上がる)」 の会意形声。大きく盛りあがった土の墓。
意味 はか(墳)。土を盛り上げてつくった墓。「古墳コフン」「墳墓フンボ」「円墳エンフン」

貝+卉賁形声文字。貝+卉。音符の卉(ホン ) は、人の足あとの三つ並んだ形にかたどり、さかんに走るの意味。
銅鐸祭祀http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/601
貝+卉
賁形声文字。貝+卉。音符の卉(ホン )は、人の足あとの三つ並んだ形にかたどり、さかんに走るの意味。 ...
http://blog.goo.ne.jp/sh_tech/e/e7503adba1ac44b08f836577787fed3b
形声文字。貝+卉。音符の卉(ホン)は、人の足あとの三つ並んだ形にかたどり、さかんに走るの意味。貝殻に模様がさかんに走っているの意味から、かざるの意味を表す。
古墳 賁・・・心・・・眞

眞:仙人變形而登天也眞:仙人が形を變えて天に登ることである。天に登り得る域に達し ていることを眞と呼ぶ。 遷人となっているものもあります。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14154992044?__ysp=55yeICDop6PlrZc%3D

「真 シン」  <中身が詰まる>http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/681d475fedeb03084ca2729aef9694bf
解字 金文は、「ヒ(さじ)+鼎(かなえ。煮炊きの器)」 の会意。鼎で煮炊きした食べ物を匙ですくう形で、鼎のなかに食べ物がいっぱい入っているさまを表す。その中身がいっぱいに詰まっていることから、「ほんもの」「まこと」の意味に仮借カシャ(当て字)された。篆文から眞の形になり、新字体は、さらに真に変化する。
意味 (1)まこと(真)。ほんとうの。「真実シンジツ」「真理シンリ」 (2)まったくそのままの。「純真ジュンシン」「真性シンセイ」 (3)ものの姿。「写真シャシン」

イメージ  「まこと(仮借)」 (真・槙)
       「中身がつまる」 (鎮・塡・嗔・瞋)
       中身がすみずみまで 「ゆきとどく」 (慎)
       「同音代替」 (顚・癲)
音の変化  シン:真・槙・慎・嗔・瞋  チン:鎮  テン:填・顚・癲

まこと
槙 シン・まき  木部
解字 旧字は槇で、「木(き)+眞(まこと)」 の会意形声。日本では真木(まき)とよんで、すぐれた木の意。もと、こずえの意があった。新字体に準じた槙が通用する。
意味 (1)[国]まき(槙)。古くは杉やヒノキをいい、現在はイヌマキ・コウヤマキなどの総称。「高野槙コウヤまき」(和歌山県の高野山に自生する槙をいい、枝葉を供花の変わりに御仏前に供える習わしがある) (2)こずえ。樹木のいただき。(眞を顚テン(いただき)の略体とみた使い方)

中身がつまる
填  テン・ふさぐ  土部
解字 旧字は塡で、「土(つち)+眞(中身がつまる)」 の会意形声。穴などに土をつめること。ふさぐ・みたす意となる。旧字の塡⇒填に変化。
意味 (1)ふさぐ(填ぐ)。ふさがる。うずめる。 (2)みたす。「充填ジュウテン」「補填ホテン」「装填ソウテン」(中につめこんで装置する) (3)はめる。うめこむ。「填漆テンシツ」(彩漆をうめて飾る技法)
鎮 チン・しずめる・しずまる  金部
解字 旧字は鎭で、「金(金属)+眞(中身がつまる)」 の会意形声。容器などに金属を詰めて重しとすること。重みをかけて押さえること。転じて、威力で安定させる意となる。旧字の鎭⇒鎮に変化。
意味 (1)しずめる(鎮める)。しずまる(鎮まる)。重みをかけて押さえる。「鎮圧チンアツ」 (2)しずめ(鎮め)。「重鎮ジュウチン」(重いおさえ。重きをなす人物)「文鎮ブンチン」(紙が動かないように置く文房具) (3)地方の押さえとなる軍隊。 「鎮守チンジュ」(鎮め守る。鎮め守る神)「鎮台チンダイ」(地方を鎮守する軍隊) (4)鎮台が置かれた地方の大きな町。「景徳鎮ケイトクチン」(地名)
嗔 シン・いかる  口部
解字 「口(くち)+眞(中身がつまる)」 の会意形声。心の中が不満でいっぱいになり、口からその不満を言葉に出すこと。
意味 いかる(嗔る)。はげしくいきどおること。「嗔訶シンカ」(叱責する)「嗔視シンシ」(怒り視る)
瞋 シン・いかる  目部
解字 「目(め)+眞(=嗔。いかる)」 の会意形声。目をいからせること。
意味 いかる(瞋る)。目をいからせる。「瞋目シンモク」(目をいからす)

ゆきとどく
慎 シン・つつしむ  忄部
解字 旧字は愼で、「忄(心)+眞(ゆきとどく)」の会意形声。すみずみまで行き届いた心。愼⇒慎に変化。
意味 (1)つつしむ(慎む)。念をいれる。気を配る。「慎重シンチョウ」「謹慎キンシン」

同音代替
顚 テン・たおれる・いただき  頁部
解字 「頁(あたま)+眞(テン)」 の形声。テンは転テン(回転する)に通じ、頭が回転するかたちで、頭が下になって倒れる、ころぶ意。また、頭が下になって地についた部分の「いただき」(頭の上)の意となる。
意味 (1)たおれる(顚れる)。さかさになる。「顚跌テンテツ」(ころびたおれる。失敗する)「顚覆テンプク」(=転覆) (2)いただき(顚)。一番高いところ。「山顚サンテン」(山の頂き) (3)(頂きから転じて)はじまり。「顚末テンマツ」(始まりと終り。一部始終)
癲 テン  疒部
解字 「疒(やまい)+顚(さかさになる)」の会意形声。精神状態が正常でないやまい。
意味 精神が病む。「癲癇テンカン」(発作などを伴う脳の疾患)「瘋癲フウテン」(①精神状態が正常でないこと。②定まった仕事をもたず、ぶらぶらしている人)

顚顚
『爿子』の政治思想とその展開http://www.tiu.ac.jp/about/research_promotion/ronsou/pdf/2_humanities_2.pdf#search=%27%E9%A1%9A++%E7%A6%B9%27
一.爿 子の「遊」
二.「無爲」と「遊」
三.「至德之世」と「反儒?,反堯舜禹」
四.「無爲而無不爲」と「?聖外王」

「遊」の世界に身を置く神人は,古の聖王である堯や舜といった作爲の世界に身を置く小人物とは比較の對象にすらならない存在としてかれ,ここでは神人の逍遙を寫し,堯に天下を忘れさせている。
 その目的は神人の遊(逍遙)を?調することにある。また,『子』には古の聖王である堯が許由に天下を讓ろうとする?話もある。

「口遊(くちずさみ)」の数学
古代の測量に関連するページ ... 古事記は、古代史の謎を解くために必要な、さまざまな 手がかりを秘めています。 測量に関する暗号に至る道案内も、古事記の中に用意され ... 謎明く裏」と三平方の定理 ? 「口遊(くちずさみ)」の数学 ? 「いろは」歌の作者は誰か ...http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0kodainosokuryou.htm
大国主とニニギを結ぶ平行線の謎http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0-1tizu2.htm
地図から分かる倭国の秘密   短針が7時を指す向きに並ぶ平行な3直線
地図の暗号の出発点   出雲大社の位置関係
注目すべき位置にある男狭穂塚   金印発光碑に結び付く新田神社
荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の秘密

日本の古代道路
日本の古代道路(にほんのこだいどうろ)は、古代日本の中央政府が飛鳥時代から平安時代前期にかけて計画的に整備・建設した道路または道路網を指す。地方では 6?12 m 、都の周囲では 24?42 m に及ぶ広い幅員を持ち、また、路線形状が直線的である(時に直線が 30 km 以上)という特徴を持つ。当時の中国(隋・唐)における道路制度の強い影響が想定されている。直線道路は、まず7世紀初頭の奈良盆地で建設されはじめ、7世紀中期ごろに全国的な整備が進んでいった。そして、8世紀末 - 9世紀初頭(平安時代初頭)の行政改革により次第に衰退し始め、10世紀末 - 11世紀初頭に廃絶した。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%81%93%E8%B7%AF
日本における道路建設が始まったのは、5世紀だとする記録(日本書紀)もあるが、詳しくは分かっておらず、疑問視する意見が多い[注釈 1]。記紀に見られる四道将軍の記述は行政範囲を指すものであり確実な道路自体を指すものではない。確実なのは、6世紀の奈良盆地においてであろうと考えられている(筋違道など)。この時代の大規模で主要な交通手段は河川を利用した水運であり[注釈 2]、道路は建設されたとしても、広い幅員、直線的な形状といった特徴はまだ備えていなかった。しかし仁徳天皇の時代に一時的に宮都が難波に置かれたことをきっかけとして、すでにかなりの人馬の往来があったことが、周辺にこの時代の遺構が多くあることからも伺い知れる。
直線的な道路が計画的に整備されたのは、7世紀からだとされている。奈良盆地では、7世紀初頭に以前の宮都が置かれた盆地中央部(纏向、磐余、現在の桜井市、橿原市東部など)から当時の宮都が置かれていた飛鳥へ向かう阿部山田道などの道路が建設され、6世紀末から7世紀末までの推古天皇朝を中心とする時期に、飛鳥から奈良盆地を北上する南北の直線道路が、平行して3本(上ツ道、中ツ道、下ツ道)作られるとともに、それに直交する東西の直線道路が河内方面へ向かって作られた(横大路)[1][2]。また、河内平野では「京」(この「京」は仁徳期に置かれたとされる高津宮を指し、現在の大阪市中央区)から南下する直線道路が難波(現在の堺市)に通じており(難波大道)[3]、これら2つの大路を結ぶのが日本最古の官道、竹内街道である。これらの道路は、36 - 42 m という非常に広い幅員を持っていた。こうした直線道路の出現の背景には、7世紀初頭に派遣された小野妹子らの遣隋使と関係があり、古代中国の隋との交流から大和朝廷に派遣された隋からの使節団を迎え入れるために、朝廷が道路整備に力を注いだのではないかと考えられている[4]。
路線の復元
地理的手法 地名が、路線復元に役立つことがある。古代道路そのものに由来する可能性がある地名としては、大道(だいどう)、横大路、車路(くるまじ)、作道(つくりみち)、立石、太政官道、勅使道、仙道(せんどう)、縄手(なわて)などがある。駅家に由来する可能性がある地名には馬屋(うまや)、馬込(まごめ)などがある。これらが必ずしも古代道路の痕跡を示すものではないが、路線を復元する上で、非常に重要な手がかりの一つである。 行政の境界が古代道路の跡であることがある。古代から道路は境界とされることが多かったが、境界は一旦設定されると歴史的に変更しにくい性質を持っているため、1000年以上を経ても境界として残存するケースがある。例えば、鳥栖市・小郡市付近に見られる直線的な福岡・佐賀県境は、古代西海道駅路の痕跡である。所沢市と狭山市の境界を見ると、所沢側から細長く 500 m ほど突き出た箇所があるが、古代の官道東山道武蔵路の痕跡だと見られている。明治初期の市町村境界には、古代道路の痕跡が多数残存していたとも言われている。 条里地割から古代道路を推定する方法がある。条里地割は、約 109 m 四方の正方形から構成されているが、10?20 m ほどの余分が帯状に見つかることがあり、この帯状の余分が古代道路の痕跡と考えられる。帯状の余分を条里余剰帯という(あるいは道代(みちしろ)とも呼ばれる)。条里余剰帯は全国各地の平野部に見られる。 現代の地割に古代道路の痕跡が残っている場合がある。例えば、大字界・字界が断続的に数 km・数十 km にわたり直線形状となっている、地籍図に駅路幅と同じ約 12 m の幅で地割が直線的に並んでいる、旧道が断続的に直線として残っている、などが手がかりとなりうる。播磨平野の例では、溜池に残る全く意味のない 6 m 幅で直線の堤防が残っている。 考古学的手法 ソイルマークから痕跡が発見されることがある。ソイルマークとは、地中の遺跡がその上の土壌の性質に影響し、田畑の土の色や性質、作付された作物の生育状況などから遺跡の形状がはっきりと識別できる現象のことである[15]。またソイルマークさえ残っていない場合でも、地図では検出できない微妙な痕跡が空中写真で判明することもある。直線的な何らかの痕跡が空中写真に残っていれば、古代道路である可能性がある。鳥取県内の古代山陰道は、丘陵部を直線的に通っているが、地図上では痕跡は見られず、空中写真によりそのことが判明した。富山平野西部の空中写真からも直線的な痕跡が見つかり、発掘調査により古代道路であることが裏付けられた。九州では衛星画像により九州縦貫自動車道と平行に走る古代の直線道路が発見されている。
従前、日本の古代道路は、細々とした小径・けもの道だと考えられてきた。1970年に古代日本史研究者の岸俊男が、上ツ道・中ツ道・下ツ道などが直線的な計画道路であったことを発表し、古代道路の研究が一気に注目を集め始めた。1970年代には、多くの研究者が古代道路の調査研究に傾注し、直線的な計画道路が全国に及ぶこと、広い幅員を持つことなどが判明していった。1980年代後半には、全国的に古代道路の発掘調査が行われ、古代道路が考古学的な裏付けを持つとともに、その実態も明らかとなっていった。1990年代には、古代道路が直線的で大規模な計画道路だったことは常識となり、多くの地域で、郷土史の一環として古代道路の路線復元などが試みられるなど、詳細な研究結果が発表されていった。しかし、古代道路が古代日本の社会において、いかに位置づけられ、いかに変容していったかなど、新たな研究課題も浮上してきた。

禹とは. 禹(う)は古代中国の伝説的な帝と言われています。 伝説の王朝と言われている 夏王朝の創始者であり、三皇五帝の一人に数えられる事もあります。 三皇五帝の ... この遺跡の周辺ではおおきな都市や道路などの遺跡も発見されています。http://www.carouselthemusical.com/kaoutyou.html
二里頭遺跡(にりとういせき)は、中国の河南省偃師?(えんし)?県二里頭村にある遺跡です。
この遺跡は長いこと伝説の王朝として語られてきた夏王朝の宮殿であると言われています。
この二里頭遺跡は4期に分けることが出来ると言われていて、1期~2期では石器や陶器などを作っていたとみられる工房が発見されています。
この発見によって、この1期~2基の間は、基本として農村文化であったと考えられています。
ですが、3期~4期については、青銅器をつくる工房、そして宮殿と思われる遺跡が発見されています。
宮殿の遺跡は2つあり、まず一つ目の宮殿は南北に100m、東西に108mの方形で、基壇の上に建てられていたと考えられています。
周囲には塀がありました。
二つ目の宮殿はやや小さく、東西に58m、南北に73mの大きさで、北側には墳墓があったために、この宮殿は妻子を行うための施設であったと考えられています。
この遺跡の周辺ではおおきな都市や道路などの遺跡も発見されています。
二里頭遺跡は夏王朝の遺跡とされていますが、一方で1期~2期は夏王朝、3期~4期は殷の初期のものではないかという説もあります。
 

(無題)

 投稿者:荊の紀氏  投稿日:2017年 8月 4日(金)11時34分5秒
返信・引用
  勾股定理=ピタゴラスの定理.勾股形=直角三角形http://cjjc.weblio.jp/content/%E5%8B%BE%E8%82%A1

鶴亀算の起こり,「午前」と「午後」の起こり,三平方の定理をめぐって,黄金比のはなしなど , . ... は、太陽を利用する測量術(勾股の法)とそれに伴う数学から 禹王が天下を統治 ...
やえー 八重 YHWHhttp://8628.teacup.com/toraijin/bbs/2698
能「鶴亀」
 

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