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・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 4月22日(日)10時00分5秒
返信・引用
  ・・
広 廣 曠 の違いは?

荒野 曠野 の違いは?

荒野 高野 の違いは?

阿羅野 とは?
 
 

ヴァジュラ(金剛)

 投稿者:憂い  投稿日:2018年 4月18日(水)09時24分16秒
返信・引用
  金剛薩埵(こんごうさった、梵: ?????????? Vajrasattva)は、中期密教においては大日如来の教えを受けた菩薩で、密教の第二祖とされた。後期密教においては、(法身普賢(普賢王如来)、持金剛と並んで本初仏(原初仏)へと昇格した。金剛(ダイヤモンド)のように堅固な菩提心を持つと称される。
その由来は、ギリシャとインドの文化が融合したガンダーラ美術にしばしば登場する、ブッダを守る棍棒を持つ神=執金剛神ヴァジュラパーニにさかのぼることができる。ヴァジュラパーニは「仏母大孔雀明王経」においては、大薬叉王のひとりとされるが、古い仏伝では、阿含経、サッチャカ小経、アンバッタ経などで異教徒や悪龍アパラーラの降伏憚のヴァジュラパーニヤクシャが見られる。ここでのヴァジュラパーニは、インド古来の伝統的な姿の見えない夜叉、グヒヤカ(guhyaka)、跡が見えないもの、密迹と意訳されたようである。そして、「密迹金剛力士経」では如来の智識を開説するという大役を担うこととなる。
ヘラクレスの姿形を取ったヴァジュラパーニ(左は仏陀。大英博物館)
この神は、同じヴァジュラパーニであるインドラ神(帝釈天)とは違い、本来はヤクシャ(夜叉)あるいはグヒヤカ(密迹、みっしゃく)とも呼ばれる下級の鬼神である。日本の密迹金剛力士はこの時点で派生した神である。ちなみに那羅延金剛力士は、ヴィシュヌ神の化身、ナーラーヤナのことである。

薩 サツ  艸部
解字 「艸(草)+阝(おか)+産の旧字(サン)」 の形声。サンの音が変化してサツとなった字。梵語の発音サツを音訳するため使われるほか、地名に用いられる。
意味 (1)梵語の音訳字。「菩薩ボサツ」(悟りを求める人の意の梵語) (2)地名。「薩摩さつま」(九州南部の旧国名。今の鹿児島県西部)「薩摩芋さつまいも」(薩摩地方でよく栽培されたことから名付けられた芋。甘蔗。カライモ。)https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/edfe3d5c417f0dad4261dd3a1a490041
薩摩
島津家は源頼朝と惟宗氏の娘との落胤が始まりといわれて、惟宗氏は秦氏の一族で秦氏は自称秦の始皇帝の子孫といっていますが、ユダヤ教徒や景教徒(ネストリウス派キリスト教)といわれています。
薩摩藩の島津家の家紋【十の字】は、キリスト教が日本に入る200年も前から使用している家紋です。 筆書体で【十】と書かれている【島津十字】は、勿論【轡紋】ではありません。 これは厄除けの呪符として用いたもので、【十全の威力】を表すものです。 島津家の【丸に十字】の紋は、島津十字から変えた家紋。 同じ轡紋の【丸に十字】とは違います。 轡紋の【丸に十字】を使用している家は、小笠原流の大草氏や後藤、浅井、 久保田、下田氏などです。 また十字架紋としての【丸に十字】を使用している家は、 ...
薩摩の島津家の家紋「丸に十字」は馬具の轡を表しているそうです。
眉唾の珍説ですが島津家は源頼朝と惟宗氏の娘との落胤が始まりといわれて、惟宗氏は秦氏の一族で秦氏は自称秦の始皇帝の子孫といっていますが、ユダヤ教徒や景教徒(ネストリウス派キリスト教)といわれています。ゆえに島津家はキリスト教徒の子孫かもしれなくて十字を家紋にしたといわれてます。

金剛山は修験道の開祖役小角(役行者)が修行した山として知られている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B1%B1_(%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B1%B1%E5%9C%B0)
北緯34度25分10秒
東経135度40分23秒
標高1,125m。最高地点は葛木岳といい、御所市の葛木神社の本殿の裏にあるが、神域となっており立ち入ることはできないため、国見城跡の広場が山頂扱いされている。他に湧出岳1,112m、大日岳1,094mのピークがある。大阪府の最高地点 (1,053m) がこの山の中腹にあり、その旨の標識が掲出されている。三角点は湧出岳に設置されている。
奈良県と大阪府を一望できる良好な立地条件から、奈良県防災行政無線[1]、電源開発、関西電力などの無線中継所が湧出岳に設置されている。大日岳には昭和20年代から警察庁の無線中継所が存在した(平成時代に撤去済み)[2] 大日岳の広場(開けた場所)はその跡地である。


聖徳太子が四天王寺建立の際に百済から呼んだ宮大工、金剛重光によって創業されたそうです。
世界最古の企業、金剛組。 その創業は、驚くことに578年。 聖徳太子が四天王寺建立の際に百済から呼んだ宮大工、 金剛重光によって創業されたそうです。 ちなみに世界二位、三位も日本企業(どちらも旅館)。 記録的な老舗が日本に多いのには様々な要因があるのでしょうけど、 日本人の職人気質っ ... 金剛組が、寺院建立のような一風変わったビジネスで 長いこと続き、定着したことは本当に輝かしいことだ。http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-55.html

一番多く関西で出たのは新羅と百済の流れと、もっと昔から日本に住んでいた中国の秦氏と呼ばれた人たちのライン。 この三つの民族が、一番日本の成り立ちに関わっているんだけれども、順番と裏表を何回か変えているんですよ。 で、キリストの件もそうなんだけれど、天皇家やキリストに関してネット上でいろんな本も出てるけれど、暴露的なものって最後に、愛がないでしょ。 僕は、そういう興味をそそるようなビジネス目的で、神事はやってないんです。 https://ameblo.jp/umesakurasaku/entry-11711041338.html
日本という国の形成の最初の頃、関西に集まったどこの人たちが中心に作ったのかというと、実は、新羅の人が作ったんですよ、天皇家の血筋ラインはね。
先に土地に住んでいたのは、中国から来た秦氏たちと、それ以外の先住民や渡来民族たちもたくさんいましたが、国家形成を考えていたわけではなかったんです

秦氏の最初の人たちはたぶん侵略じゃなくて知恵を教えながら、そこに住んでいる人を自分たちの目的に組み入れながら上手にやっていたんですよ。

九州には、奴国(ぬこく)・狗奴国(なぬこく)・邪馬台国(やまたいこく)と呼ばれる人たちの歴史も残っていますが、それ以前の日本全体をみると、それぞれの土地を支配していた按司(あじ)や豪族たちが各地で勝手なことをやっていた時代だからこそ、日本の都の始まりは九州の倭国にあったと言っていいでしょう。
その時代は、当然、朝鮮の民も沖縄まで来ていましたし、九州にも行き来していましたし、出雲を作った人たちとも言えるでしょうね。

諏訪の大事なものを地図で繋ぐとね、クロス(十字架)が出てきたんです。そして、そのまわりが棺桶の形になったんですよ。これで、「原初キリストの封印」だとわかったんです。
 

Re: ・・

 投稿者:憂い  投稿日:2018年 4月18日(水)08時55分30秒
返信・引用
  > No.3680[元記事へ]

かぐやまの花こさんへのお返事です。

> ・・
>
> 善無畏三蔵が日本に来ていたというが、本当ですか?

善無畏三蔵は、密教の根本経典である『大日経』、またそれに付随する大日経系の経典を次々に翻訳しました。http://www.yamano.or.jp/kozou-web/honndou/zennmui.html
西暦716年に80歳で、唐の都「長安」に入り、国師として迎えられた
インドの高僧。

金剛智三蔵のように、インドから持ってきた経典を中国語に翻訳しました。
最初に翻訳された『虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)』は、日本にも請来され、若き日の弘法大師さまは、この法を授かったことが仏道へ目を向けるきっかけになったといわれています。

インドでは、すでに二世紀にはキリスト教徒の数もかなりのものになり、三世紀にはキリスト教の団体もありました。 したがって、大乗仏教「八宗の祖」と言われるインドの「 龍樹(りゅうじゅ)」(紀元一五〇~二五〇年頃)が、キリスト教思想に触れたことは、確実とみられます。 彼は「龍宮」で法華経を授けられ、その後「南天の鉄塔中で、金剛薩た(「 た」の漢字は「土へん+垂」)(こんごうさった)から大日如来に関する経典「大日経」を授かったと主張しています。
大乗仏教に見られるキリスト教の影響http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/bukkyokirisuto02.htm
「大乗仏教はシャカ自身の教えではない」
シャカは、長い苦行の末に「悟り」を開き、一切のものは空(無我)であると説いた人でした。彼は、この世界も、苦も、生も、死も、すべては空であり、実体のないものであると説いたのです。彼の思想は、もともと無神論で、神、あるいは神的存在者に関する思想は持っていませんでした。

小乗仏教においては、この世界の事物は「空」(無我)であり「無常」であるという世界観にほとんど終始していたのに対し、大乗仏教になると、変化きわまりない「無常」の世界の奥に、さらに「常住なるもの」(変わりなく存在するもの)を捉えようとします。すなわち大乗仏教になると、移り変わる物事の奥に、"永遠的なもの"を探ろうとするのです。
 また、大乗仏教の一派である浄土宗などになると、もともと原始仏教にはなかった「罪」の概念が、盛んに言われるようになります。例えば、親鸞は人間の持つ「罪」というものを強く意識した人ですし、寺の中にも「懺悔滅罪(ざんげめつざい)寺」と呼ばれるものが現われました。

大乗仏教には、末法思想と呼ばれる歴史観、および「弥勒」と呼ばれる未来の救い主に対する信仰があります。この思想によると、シャカの死後長くたった現代は"末法の世"で、シャカの教えが実行されず、世も乱れる時代であるとされています。けれども将来、「弥勒」と呼ばれる仏がこの世に現れて、シャカの教えに漏れた人々を救う、という信仰があるのです。
 これは言わば、"救い主が将来この世に現れて、人々を救う"という信仰です。このような思想は、もともと原始仏教にはなかったものなのに、いったいどこからきたのでしょうか。

そこにはキリスト教等の影響が……
 

・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 4月18日(水)01時15分51秒
返信・引用
  ・・

善無畏三蔵が日本に来ていたというが、本当ですか?
 

Yの字・・・「干カン」 <サスマタ状の武器>・・・才は神聖を標示する木

 投稿者:憂い  投稿日:2018年 3月28日(水)10時42分22秒
返信・引用
  おとめ座はスピカから「アルファベットのyの字」の星の並びが目印です。アークトゥルスとスピカとデネボラを結んでできる三角形を“春の大三角”といいます。http://www.science.pref.fukuoka.jp/h_sanpo/5gatu.html

角宿を起宿として天球を西から東に不均等分割したもので、均等区分の十二次と共に天体の位置を表示する経度方向の座標として用いられた。二十八宿の星座は4つの方角の七宿ごとにまとめられ、その繋げられた形は4つの聖獣の姿に見たてられ、東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀の四象(四神あるいは四陸ともいう)に分けられた。 二十八宿はそれぞれ西端の比較的明るい星を基準(距星という)とし、その距星から東隣の宿の距星までがその宿の広度(赤経差)となる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E5%AE%BF

妍哉あなにや(なんとすばらしいことだ)、http://www.geocities.jp/yasuko8787/140707.htm

声符は「幵(けん)」。
「幵」は簪かんざしの象形。
《字源》http://増殖難読漢字辞典.com/honbun/zoukan-552b.html

妍を競う(けんをきそう),あいまいな言葉の意味を確認したり、語源を調べたり、 言葉に思いを馳せ、味わっていきたいと思います。http://kotobahiroi.seesaa.net/article/42378459.html
けんのある言い方の「けん」は、
「険」
1、山などがけわしいこと。また、その土地。
2、むずかしいこと。困難なこと。
3、顔の表情や物の言い方に表れる、冷たくきつい感じ。(「権」「慳」とも書く)

「幵ケン」<たいら・高さをそろえる> と 「研ケン」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/61d12bf6ac22e0b03fceee4df929bf33
解字 干字の形を二つならべて、高さの同じものを二つならべた形を表し、たいらの意。新字体に含まれるとき、幵 ⇒ ?に変化する。
意味 たいらか。たかさがそろう。
イメージ  「たいら・高さをそろえる」 (研・?・栞・笄)
たいら・高さをそろえる
研 ケン・とぐ・みがく  石部
解字 旧字は、「石(いし)+幵(たいら)」の会意形声。石や玉をみがいて平らにすること。とぐ・みがく意となる。転じて、自分をみがく・きわめる意となる。現代字は、研となる。
意味 (1)とぐ(研ぐ)。みがく(研く)。「研磨ケンマ」(研も磨も、みがく意)「研(と)ぎ出し」(みがいて光沢や模様を出すこと) (2)[国]刃物をとぐ。「研師とぎし」(刃物をとぐ人) (3)自分をみがく。「研修ケンシュウ」 (4)物事の道理をきわめる。「研究ケンキュウ」「研鑽ケンサン」(着実に研究する)(5)こする。すりつぶす。「薬研ヤゲン」(漢方薬を粉にすりつぶす道具)
栞 カン・しおり  木部
解字 「木(き)+幵(高さがそろう)」の会意形声。山林などを歩く時、木の枝を折って(枝シ折る)道しるべとする意につかう。折った枝の高さが人の手のあたりで揃うから。
意味 しおり(栞)。①枝折(しお)り。山を歩くとき木の枝を折っておき道しるべとすること。②案内書。手引き。「旅の栞しおり」③[国]本の読みかけの所に挟んで、しるしとする紙片や紐。

幵官(けんかん)氏、または?官(きかん)氏、または并官(へいかん)氏は、孔子の妻で、孔鯉(伯魚)の母。孔子および孔鯉に先だって没した。
「幵」、中国では「?」とされることが多く、「?官」は『百家姓』の441番目にも含まれている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B5%E5%AE%98%E6%B0%8F
日本の古活字本では「井官」のように書かれている[3]。汲古閣本、『太平御覧』鱗介部八・鯉魚に引く『孔子家語』、百衲本『史記』孔子世家の『索隠』に引く『孔子家語』は、いずれも「上官」に作る。

「干カン」 <サスマタ状の武器> と 「旱カン」 <ひでり>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/badac5a42642cd92ed29eb1ba4d411a8
解字 干には二種類の文字が混在している。ひとつは身を守る武器であるタテ(盾)の形を表す字で、甲骨文字の第一字がそれである。ふたつめは、先が二またになったサスマタ状の武器を描いた形で、甲骨文の第二字および金文・篆文がそれである。甲骨文第一字のタテの形は、篆文で盾の字体へ分化したと思われる。
 意味は、サスマタ状の武器から、武器で「おかす・かかわる」意に、盾の意から、「たて・ふせぐ」意となる。また、乾カン(乾燥する)に通じ「かわく・ほす」意に、幹カン(みき)に通じ、十幹十二枝(十干十二支)の意となる。
意味 (1)おかす(干す)。かかわる。「干渉カンショウ」「干犯カンパン」 (3)たて(盾)。ふせぐ。まもる。「干戈カンカ」(たてとほこ) (3)ほす(干す)。ひる(干る)。かわく。「干拓カンタク」「干天カンテン」 (4)みき。「十干ジッカン」(十の幹となるもの。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸をいう)「干支えと・カンシ」(十干と十二支との組み合わせをいう)
イメージ  サスマタ状の武器で 「おかす・かかわる」 (干・奸)
       幹カン(みき)に通じ 「木の棒」 (刊・岸・軒・竿・罕)
       幹カン(主要な部分)に通じ 「体幹・身体の主要部分」 (汗・肝)
岸 ガン・きし  山部
解字 「山+厂(がけ)+干(=刊。けずる)」 の会意。山際のがけが水でけずられているところ。
意味 (1)きし(岸)。がけ。みぎわ。かどだった水ぎわ。「海岸カイガン」「岸壁ガンペキ」「護岸ゴガン」 (2)たかい。けわしい。
軒 ケン・のき  車部
解字 「車+干(木の棒)」 の会意形声。二本の轅(ながえ:前に長く平行に出た二本の棒)がある車、特に身分が高い人が乗る反り上がった轅の車をいう。転じて、先が反り上がった家のひさし(のき)の意となる。
意味 (1)のき(軒)。ひさし。「軒端のきば」 (2)家を数える語。屋号。雅号。「三軒の家」 (3)(軒のきは上にあることから)あがる。高くあがる。「意気軒昂イキケンコウ」(意気込みがあがる) (4)轅の高く反り上がった車。また、車の総称。「軒車ケンシャ」(身分の高い人が乗る車)
竿 カン・さお  竹部
解字 「竹(たけ)+干(木の棒)」 の会意形声。竹の棒、すなわち竹さおのこと。
意味 さお(竿)。たけざお。「物干し竿」「竿灯カントウ」(長い竹竿に横竹を付け、そこにいくつも提灯をつけたもの。秋田市の七夕祭で練り歩く)
罕 カン・まれ  网部あみ
解字 篆文は、「网(あみ)+干(木の棒)」 の会意形声。棒(柄)の先に網をつけた鳥を捕える鳥網をいう。「まれに」の意となるのは、鳥網で鳥を捕えることのできるのは、まれにしかないからか? 現代字は、网⇒「冖+八」に変化した罕になった。
意味 (1)とりあみ。鳥をとる。長い柄の先に小網がついたもの。(2)まれ(罕)。まれに。たまに。めったにない。「子罕言利シカンゲンリ」(孔子はまれに利を言う。先生はめったに利のことは語らなかった。論語より) 現代中国では「罕見カンケン」(まれに見る=まれだ。めったにない)の形でよく使われる。

「罔」は「网」に音符「亡」を添えてできた後起字であるが、仮借によって「ない」といった否定の意味などが生じ、そちらの意味が主に使われ出すと、本来の意味を表すための字として糸偏をつけた「網」が生じた。「网」は構成要素である偏旁としてのみ使われていたが、現在の中国においては「網」の簡体字として用いられている。
网部(もうぶ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%91%E9%83%A8
偏旁の意符としては猟具や漁具、かかることや捕まること、法の網にかかることなどに関することを示す。楷書ではこれを「?」「?」「罒」「罓」といった形に変形させており、このうち「罒」の形が最も多く使われる。篆書では上と左右を囲っており、網に捕らわれている様子を醸し出しているが、「罒」は上だけに置かれ、網の形を想像しにくい。また「罒」は「目」の変形(よこめ)と同形であり、「?」は「穴」の変形と同形となっている。

罔. 車. 」 は. 畢. 星、. 兎. 捕. り. の. 網. の. 形. の. 星. 座。 月. が. 畢. に近づくと雨が降るとされ、. 「雨師(あめふりぼし). 」と呼. ば. れ. る。 「. 威. 弧. 」 は. 弧. 星。 「. 封. 狼. 」 は. 狼. 星. の. こ. と。 「. 封. 」 は. 「大」を意味する。 「青林」は天苑星、天帝の御苑。 「壁塁」. は、天帝を守る羽林将軍の西にあるとりでで、そのかたわ. らには「北落」という大きな星 がある。 やや煩雑だが、この箇所は次のように解釈できよう。王. 良. に. 命. じ. て. 天. 馬. を. 操. ら. せ、. 高. く. そ. び. え. る. 楼. 閣. の. 星. を. 越. え. る。
「狼」という星http://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/055-066.pdf#search=%27%E7%BD%94+++%E6%98%9F%27
天狼」はシリウス(おおいぬ座α星)。
この恒星は、おおいぬの鼻先の部分に当たり、冬の大三角形、冬のダイヤモンドを構成する。
恒星の中では(太陽を除けば)地球から最も明るく見える星で、よく晴れた冬の夜、南の空を見上げれば、やや青みがかった白さで強く輝くその姿を容易に見つけることができる。
中島敦の漢詩のうち、四篇にこの星が詠み込まれている。もう一例。
狼シリウス星方爛々、 狼星は方まさに爛々たり、参オリオン宿燦斜懸。
 参宿は燦として斜めに懸かかれり。
凍夜疎林上、 凍夜 疎林の上、
悠々世外天。 悠々たり 世外の天。
シリウスが今まさしく爛々と輝き、そのそばにはオリオンの三ツ星が、燦然ときらめきながら空に斜めにかかっている。
凍てつくような寒い夜、枯れ枝ばかりでまばらな林の上には、このわずらわしい俗世の外にある天が、じつに悠然と広がっている、というもの。

シリウス星であるソプデトは、肥沃の神としても崇拝された。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%97%E3%83%87%E3%83%88
「ソプデト(Sopdet)あるいはセペデト(Sepedet)」は、古代エジプトの豊穣の女神。名の由来は、「尖ったもの、鋭いもの」を意味する「spd」(ソプドあるいはセペド)。シリウス星が神格化されたもので、古ラテン語でソティス(Sothis、「水の上の星」の意味)とも呼ばれる。ソプデト=ソティスを表す聖獣は(雌)犬(古くは牝牛)。ソプデトはイシスの化身とされる。シリウス星は「ナイルの星」、「イシスの星」として崇められた。シリウス星はヘブライ語では「シホール」(Sihor)と呼ばれた。ヒエログリフではソプデトを「△」(三角形)で表す。

日本では、スピカと対(つい)にして、夫婦(めおと)星と呼ばれました。 アルクトゥルス(オレンジ色)が夫、スピカ(青白色)が妻になります。http://seiza-zukan.com/first.html


才は神聖を標示する木
「?サイ」 < ことを始める > と 「載サイ」
解字 「才サイ+戈カ(ほこ)」の会意。才は神聖を標示する木で、これを立てて土地を祓い清める意。これに武器である戈(ほこ)をつけたものが?サイである。戈に呪符としての才をつけて戈を祓い清める形で、軍事を始める時の儀礼を意味したと思われる。それで?は、ことを始める意となる「字統」。現代字は、篆文の才⇒十に変化した?になった。?を音符に含む字は、戈で軍事をはじめる意から、ひろく「ことを始める」イメージを持つ。<参考>音符「才サイ」
イメージ  「ことを始める」 (栽・載・戴・裁・哉)
       「その他」  (截)
載 サイ・のせる・のる  車部
解字 「車(くるま)+?(ことを始める)」 の会意形声。車で軍事を始めること。兵士や物資を載せる意となる。転じて、記事を書いて新聞や雑誌などにのせる意ともなる。
意味 (1)のせる(載せる)。のる(載る)。車や乗り物に物や人をのせる。「積載セキサイ」「搭載トウサイ」 (2)しるす。書く。記事にのせる(載せる)。「掲載ケイサイ」 (3)(歳サイに通じた用法) とし。一年。「千載一遇センザイイチグウ」(千年に一度しかない)
哉 サイ・かな  口部
解字 「口(くち)+?(ことを始める)」 の会意形声。ことを始めるときに出す言葉が原義で、言葉を出してはじめること。のち、疑問・反語や、詠嘆の助字となった。
意味 (1)はじめる。はじめ。 (2)かな(哉)。感動・詠嘆を表す助字。「快哉カイサイ」(快なるかな)「善哉ゼンザイ」(①善いかな。喜び祝う語。②小豆を甘く煮て中に餅などを入れた汁子) (3)や(哉)・か。疑問・反語の助字。
截 セツ・たつ・きる  戈部
解字 篆文は、「雀(すずめ)+戈(ほこ)」の会意形声。戈(ほこ)で切って雀のように小さくすること。隷書(漢代)から「隹+?」の截に変化し、現代に続く。
意味 たつ(截つ)。きる(截る)。たちきる。「截然セツゼン」(①区別がはっきりしているさま。②切り立っているさま) 「截断セツダン」(=切断) 「直截チョクセツ」(①すぐに裁断を下す。②きっぱりしている)
 

Re: ・・

 投稿者:憂い  投稿日:2018年 3月21日(水)12時28分43秒
返信・引用
  > No.3677[元記事へ]

かぐやまの花こさんへのお返事です。

>  万葉巻1-2国見の歌は、悪魔の試みの歌ではないか?


国見の歌をうたった農耕の予祝儀礼であった。 ....
地図で知る日本古代史の秘密http://www.geocities.jp/yasuko8787/140707.htm
神武天皇が国見をしたホホマの丘がどこであるかは決め難い点もあるようですが、御所市の国見神社の御由緒にもある、国見山(229m)とすると、我が目を疑うことが起こります。
まず、古事記によると、神武天皇の皇后は、丹塗矢に化けた三輪山の神(大物主神=大国主神=大己貴神)が、うるわしい乙女のホトを突いて生ませた子ですが、地図を見ると三輪山は国見山の丁度北東に位置します。

そこでアキツのトナメを、便宜上、右上の図のように直角三角形として捉えると、メスが舐めているオスの尻に当たる箇所(x)が地図上では大変なことになっているのです。

すなわち、次図の南から北に向かってまっすぐ流れ下る葛城川の特異箇所に書き込んだ「+」の中心が、アキツのトナメから思いつく、三輪山の経度を御所市の国見山の経度に置き換えた位置なのです。



> [題詞]高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌
>
> ・・おきながたらしひひろぬかのすめらみこと
>
>  日+廣 → 曠
>
> [原文]山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者
>
> [訓読]大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
>
> ・・
> Then was Jesus led up of the Spirit into the wilderness to be tempted of the devil. 2  And when he had fasted forty days and forty nights, he was afterward an hungred.
>
> ・・
> Again, the devil taketh him up into an exceeding high mountain, and sheweth him all the kingdoms of the world, and the glory of them; 9  And saith unto him, All these things will I give thee, if thou wilt fall down and worship me.
>
> (Matthew4-1~)
>
> ・・今年の四旬節のはじめはバレンタインデイと同じ日。灰の水曜日と云われる。
>
>
>  万葉巻1-2国見の歌は、悪魔の試みの歌ではないか?
>
>
 

・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 3月20日(火)18時28分20秒
返信・引用
  [題詞]高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌

・・おきながたらしひひろぬかのすめらみこと

 日+廣 → 曠

[原文]山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜A國曽 蜻嶋 八間跡能國者

[訓読]大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

・・
Then was Jesus led up of the Spirit into the wilderness to be tempted of the devil. 2  And when he had fasted forty days and forty nights, he was afterward an hungred.

・・
Again, the devil taketh him up into an exceeding high mountain, and sheweth him all the kingdoms of the world, and the glory of them; 9  And saith unto him, All these things will I give thee, if thou wilt fall down and worship me.

(Matthew4-1~)

・・今年の四旬節のはじめはバレンタインデイと同じ日。灰の水曜日と云われる。


 万葉巻1-2国見の歌は、悪魔の試みの歌ではないか?

 

「お彼岸 仏教ではない」の検索結果

 投稿者:憂い  投稿日:2018年 3月19日(月)10時09分32秒
返信・引用
  お彼岸」は、インドや中国、朝鮮半島には見られない日本独自のものらしい。http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/index.html

お彼岸、七夕、お盆、彼岸などの行事は外国に存在しません。
仏教とは本来は無関係の神道の風習と言えるそうです。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14119564019?__ysp=44GK5b285bK4IOS7j%2BaVmeOBp%2BOBr%2BOBquOBhA%3D%3D

太陽信仰 そのとき歴史は動いた-イスラエル人から日本人への転換- http://66575033.at.webry.info/201102/article_23.html
古代イスラエル人が日本の主流の民族になったと考えています。
その信仰の「型」は、ユダヤ人のラビ・トケイヤー氏によれば、とても似ているということです。

日本人の信仰の中核は、太陽信仰です。
太陽神である女神・アマテラスオホミカミが神道の中核的な神です。
皇女・倭姫命は、何十年もかけて、太陽神を祀る最適地を探し求め、伊勢の地を探し当てました。
日本の最高の神社は、(少なくとも表向きは)太陽神を祀る伊勢神宮であり、皇室の祖先神として、最高の地位にあります。
古事記でも、太陽神がお生まれになったときに、タカマノハラの主宰神になられたとされています。言うまでもなく、太陽信仰です。
これは民間信仰の分野にまで及んでおり、お彼岸なども太陽信仰の名残と言いますし、日本人は昔から、太陽のことを「お天道様」と言って特別の敬愛の対象としてきました。

つまり、日本に渡来した古代イスラエル人は、その最高神を地球神から太陽神に変更しました。
ここがきわめて重要なポイントだと思います。歴史的な大事件です。NHK流に言えば、そのとき歴史は動いたというほどの人類史の大事件です。
つまり、そのとき古代イスラエル人は、新しい民族である日本人になったと言えるのではないでしょうか。

地球神が教育好きの激しい父性を持った神であるのに対し、太陽神は万人を恵む慈しみの母性を持った神です。
スサノオ命が暴れたとされる天の岩戸神話でも、スサノオ命をアマテラスオホミカミ自身が罰するのではなく、アマテラス御自身は自己の責任を感じて岩戸に御隠れになります。(スサノオ命を罰したのはあくまでも周囲の神々です。)

太陽神は穏やかで、多くの場合恵みを垂れる神です。
これが日本人の気性の穏やかさとも影響していると思います。

よくよく考えてみると、古代イスラエル人は、その後の歴史を経て「ユダヤ人」と「日本人」という とても似ていながら正反対の民族になりました。
この両民族は、父母のように、これからの地球や人類にとっては欠かせない民族になっていると思います。陰陽が相互に補完し合いながら、これから大きな役割を果たしていくと予感します。



一方の10部族の中でも有力なヨセフの一族は、実はもともと太陽神と縁があったと考えられます。

聖書によれば、ヨセフは兄弟によって銀貨30枚でエジプトに売られます。そして、苦難の末、エジプトで総理大臣になります。このエジプトとは、古来、太陽神ラーを最高神として信仰する国です。その太陽神の国でヨセフは最高の地位に就いたのです。ここに、後の10部族の将来が暗示されているのかも知れません。

そして、10部族が放浪の末、東アジアで長期間接触したのが、太陽信仰の長江文明の末裔たち(原倭人の一部)でした。
ここで10部族は、後の太陽信仰の原型を吸収します。というか、この太陽信仰の人々と混成民族(原倭人)を形成します。(沖縄に太陽信仰が残るのは、北上した原倭人の痕跡でしょう。)

10部族の太陽信仰との出会いと吸収の旅は、まるで、偶然ではなく、何かに導かれているかのような動きだと感じます。
聖書が主張するように10部族は現地人の信仰に影響を受けやすい人々でしたが、これが幸いしました。そのおかげで、放浪の途中で見事に太陽信仰を吸収し、後の日本の太陽信仰の原型を形成したのでした。
太陽ののぼる東への移動は、10部族にとっては「太陽神への信仰」の度合いを強めていく移動でもあったと思います。

このようにして、
・ユダヤ人は堅固に地球神・ヤーウェを信仰し、
・日本人は太陽神・アマテラスオホミカミを信仰する
相補完する民族になっていったのであろうと思います。

我々の生きているのは、太陽系の惑星・地球で、太陽と大地の恵みを受けながら生かされています。(太陽と大地は相補完して生命を育んでいます。)
 

Re: ・・

 投稿者:憂い  投稿日:2018年 3月12日(月)00時39分3秒
返信・引用
  > No.3674[元記事へ]

かぐやまの花こさんへのお返事です。

>月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。

「インド占星術」では12星座を更に細かく27個に区切って占います。これを「月宿(ナクシャトラ)」と言います。
ご存じの通り、「月」は約27日間かけて地球の周りを移動しますが、その際、1日毎にその通り道を区切ったのが「月宿(ナクシャトラ)」です。http://horoscope777.com/wp/%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F/shurui/indo/tokuchou
月宿(ナクシャトラ)

人馬座e 星?箕宿三?,

箕宿. 射手座と山羊座にまたがる, ウッタラ・アシャダー ...斗宿?
箕宿  斗宿  女宿

と ぎゅう -ぎう [0] [1] 【斗牛】https://www.weblio.jp/content/%E6%96%97%E7%89%9B
二十八宿の斗宿と牛宿。斗は射手座の一部,牛は山羊座の一部で,ともに南方の天にある。

射手座  山羊座
エア神 (次のやぎ座で出てきます)から知恵を授けられ、文明が発達した人間を 一掃しようと大洪水を起こしたエンリル神の息子です。
古代メソポタミアの星座のシンボル・いて座、やぎ座 https://ameblo.jp/ylrlug5604/entry-12304888852.html
「オアンネス」と呼ばれていて その後、魚神として 崇拝されるようになった。
魚神だけど 農耕も司るとされていた。

やぎ座は、黄道12星座のひとつにもなっている古い星座で、古代バビロニア時代には、冬至点はやぎ座 にありました。 現在の冬至点は、地球の歳差運動の為、隣のいて座に位置しています ...http://seiza.imagestyle.biz/aki/yagimain.shtml




> 清風徐来、水波不興。
> 挙酒属客、誦明月之詩、歌窈窕之章。
> 少焉、月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。
> 白露横江、水光接天。
>
> ・・
>
> 月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。
>
> この斗牛というの、何か意味があるのでしょうか?
 

・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 3月 8日(木)02時20分0秒
返信・引用
  清風徐来、水波不興。
挙酒属客、誦明月之詩、歌窈窕之章。
少焉、月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。
白露横江、水光接天。

・・

月出於東山之上、徘徊於斗牛之間。

この斗牛というの、何か意味があるのでしょうか?
 

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