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八兌説半火克兄光

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 6月24日(日)10時35分50秒
返信・引用
  ・・  
 

二つの地点をまっすぐつなぐ道は近道

 投稿者:吾亞風  投稿日:2018年 6月20日(水)11時05分7秒
返信・引用
  地中に大きなナマズ(古代上下エジプト統一王ナルメル鯰王のこと)が住み着いて荒れ騒いでいるのだと
110:名無しさん@13周年:2013/10/27(日) 00:14:29.23 ID:7cP6Nt5h0http://jishin-yogen.com/blog-entry-4424.html

二つの地点をまっすぐつなぐ道は近道
哭(なく)口+口・・・2つの連結された玄室
ナルメル(Narmer)は、前31世紀の古代エジプトのファラオである。セルケト(「さそり王」)の後継者で、エジプト第1王朝の創始者であると考えられている。
ナルメルの名は、ナマズ(ナル)と鑿(メル)の象形文字によって表される。他に考えられる読み方として「ナルメルウ」や「メルウナル」があるが、慣習的に「ナルメル」が採用されている。ナルメルは「荒れ狂うナマズ」という意味である。
ナマズ(ナル)
ナル
ナルキッソス(古代ギリシア語: Νάρκισσος, Narkissos 、英語: Narcissus )は、ギリシア神話に登場する美少年である。https://ja.wikipedia.org/wiki/ナルキッソス
エーコーはゼウスがヘーラーの監視から逃れるのを歌とおしゃべりで助けたためにヘーラーの怒りをかい、自分では口がきけず、他人の言葉を繰り返すことのみを許されていた。エーコーはナルキッソスの言葉を繰り返す以外、何もできなかったので、ナルキッソスは「退屈だ」としてエーコーを見捨てた。エーコーは悲しみのあまり姿を失い、ただ声だけが残って木霊になった。これを見た神に対する侮辱を罰する神ネメシスは、他人を愛せないナルキッソスが、ただ自分だけを愛するようにする。
ネメシスは無情なナルキッソスをムーサの山にある泉によび寄せる。不吉な予言に近づいているとも知らないナルキッソスが水を飲もうと、水面を見ると、中に美しい少年がいた。もちろんそれはナルキッソス本人だった。ナルキッソスはひと目で恋に落ちた。そしてそのまま水の中の美少年から離れることができなくなり、やせ細って死んだ。また、水面に写った自分に口付けをしようとしてそのまま落ちて水死したという話もある。ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。この伝承から、スイセンのことを欧米ではナルシスと呼ぶ。また、ナルシストという言葉の語源でもある。
水仙
仙 セン  人部
解字 「イ(ひと)+山(やま)」 の会意形声。山にすむ人の意。https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/e3082a83d561ecd66a786260230bbe63
意味 (1)せんにん。山に入って不老不死の術を修めた人。「仙人センニン」 (2)俗界を離れた人。また、そのところ。「仙郷センキョウ」 (3)すぐれた。非凡な。極めた人。「詩仙シセン」
辿 テン・たどる  しんにゅう部
解字 「しんにゅう(行く)+山(やま)」 の会意。山道をゆっくり歩く意。日本では、いろんな所を尋ねあるく意味に用いられる。
意味 (1)ゆっくり歩く。 (2)[国]たどる(辿る)。さがしながら行く。すじ道を追い求めて考える。

久米仙人(くめ の せんにん)は、久米寺(奈良県 橿原市)の開祖という伝説上の人物。 『久米寺流記』には名を毛堅仙と記されている。久米仙人に関する話は、『七大寺巡礼私記』『久米寺流記』『元亨釈書』『扶桑略記』https://ja.wikipedia.org/wiki/久米仙人
脛(はぎ)

「巠ケイ」 <まっすぐのびる> と 「経ケイ」https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/c2f36e5aaf4fd596ea51e4957d72eee5
新字体では、巠→圣に変化する。
たてにまっすぐ
経 ケイ・キョウ・へる  糸部
解字 旧字は經で 「糸+巠(たてにまっすぐ)」 の会意形声。巠は、もとの意味がたて糸で、それに糸をつけて本来の意味を強調した。また、たて糸が布地をまっすぐ通り抜ける(経る)、横糸の間をかわるがわるくぐりぬけておさまる等の意味がある。
意味 (1)たていと。たて。「経度ケイド」(地球のたての線)「経緯ケイイ」(たてとよこ。いきさつ) (2)へる(経る)。まっすぐ通り抜ける。「経過ケイカ」「経口ケイコウ」 (3)おさめる。いとなむ。「経営ケイエイ」「経理ケイリ」 (4)つね。つねに変わらない。「経常ケイジョウ」 (5)不変のすじ道を説いた書。 「経典キョウテン」「五経ゴキョウ」(儒教で尊重される五つの経典) (6)仏陀のおしえ。「お経キョウを唱える」「経文キョウモン」
頸 ケイ・くび  頁部
解字 「頁(あたま)+巠(たてにまっすぐ)」の会意形声。頭から下へまっすぐたてにのびる首すじ。
径 ケイ・みち  彳部
解字 旧字は徑で 「彳(ゆく)+巠(まっすぐのびる)」 の会意形声。二つの地点をまっすぐつないだ道のこと。二つの地点をまっすぐつなぐ道は近道であり、遠まわりをしないため車の通れない山道であったり小道となる。図形では、さしわたしの意となる。
意味 (1)みち(径)。こみち。ちかみち。「山径サンケイ」 (2)さしわたし。「直径チョッケイ」「口径コウケイ」 (3)まっすぐ。ただちに。「直情径行チョクジョウケイコウ」(自分の思ったとおりまっすぐに行動すること)

久米の鯰。https://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/c9988667dfc360b4906ea81e259fe8b3
古代氏族、久米(くめ)氏の氏寺とされる久米寺には鯰(なまず)の奉納額がみられ、古く、久米氏族が鯰をトーテムにしていたとされます。 橿原市の畝傍山東南の麓に、神武天皇を祀る橿原神宮が鎮座します。
久米氏族の原初を東南アジアのクメールとする説があります。
 

なぜ「八人の天皇」の記述が削除されてしまったのか。

 投稿者:吾亞風  投稿日:2018年 6月20日(水)10時24分35秒
返信・引用
  「綏靖天皇」は朝に夕に人間を7人食べていた。http://rapt-neo.com/?p=27562

7+1?

欠史八代(けっしはちだい、かつては闕史八代または缺史八代とも書いた)とは、『古事記』・『日本書紀』において系譜(帝紀)は存在するがその事績(旧辞)が記されない第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇のこと ...
第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇
綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)
安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)

「辛酉」とは干支のひとつで中国では革命の年と考えられ、古来より21回目の辛酉の年には大革命が起きる(讖緯説)とされてきた。那珂通世は、聖徳太子が政治を始めた601年(厳密には6世紀末とされるが、表立った活動の記録はない)が辛酉の大革命の年であるため、『日本書紀』の編者がそれに合わせて神武天皇が即位した神武天皇即位紀元を算出(21×60=1260よりAD601-1260=BC660〈西暦0年は存在しない〉)したと『上世年紀考』(1897年)で提唱した。現在の歴史学界ではこの那珂の説が定説となっている[注 2]。
 

哭(なく)サワメ

 投稿者:吾亞風  投稿日:2018年 6月20日(水)10時11分50秒
返信・引用
  「哭コク」 <大声でなく> と 「喪ソウ」 https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/9da18a3b459ac1fae32ec319a02576ef

再生の神、出産、延命長寿、井戸の神様、水神などの信仰を集めている。
太古の日本には、巫女が涙を流し死者を弔う儀式が存在し、そのような巫女の事を泣き女という。この儀式は死者を弔うだけではなく魂振りの呪術でもあった。泣き女は神と人間との間を繋ぐ巫女だった。ナキサワメは泣き女の役割が神格化したものとも言われており、出産、延命長寿など生命の再生に関わる信仰を集めている。また、雨は天地の涙とする説があり降雨の神様としても知られている。
ナキサワメとは、日本神話に登場する女神。泣沢女神[1]や啼沢女命[2]と呼ばれ、哭沢女命とも呼ばれる。泉の湧き水の精霊神とされる。https://ja.wikipedia.org/wiki/ナキサワメ
畝尾都多本神社に泣沢という井戸があり、その井戸が御神体として祀られている[3]。この事から、ナキサワメは大和三山の一つである香具山の麓の畝傍から湧き出る井戸の神様ということになる。井戸の中には、ナキサワメが流した涙があるといわれている。その井戸には、和歌が残っている。
哭沢の 神社に神酒すゑ 祷折れども わご大君は高日知らしぬ[4]
(泣沢神社の女神に神酒を捧げて、薨じられた皇子の延命を祈っているのに、皇子はついに天を治めになってしまわれた。)
その左注に、
「右一首、類聚歌林に曰はく、桧隈女王の泣沢神社を怨むる歌といへり。日本紀を案ふるに云はく、十年丙申(696)の秋七月辛丑の朔の庚戌、後皇子命薨りましぬといへり」
と記されている。 これは、持統天皇十年(696)に、ヒノクマオオキミ(桧隈女王)が再生の神に神酒を捧げタケチノミコ(高市皇子)の延命を祈ったのに、蘇ることなかったという、ナキサワメを恨む和歌である。
 

哭沢女命

 投稿者:吾亞風  投稿日:2018年 6月20日(水)09時58分48秒
返信・引用
  「道」が形となって現象した「器」
その道をしばらく進むと狭井川に差し掛かる・・道・川

哭沢女命
万葉集には「哭沢の神の杜(森)」として出てくる神社https://ameblo.jp/martin42mec/entry-11515151132.html

綏靖天皇陵ー(道)ー文殊院西古墳
畝尾都多本神社https://www.bing.com/maps?&ty=18&q=%e7%95%9d%e5%b0%be%e9%83%bd%e5%a4%9a%e6%9c%ac%e7%a5%9e%e7%a4%be&ss=ypid.YN5286x9702222764751880317&ppois=34.4986724853516_135.815017700195_%e7%95%9d%e5%b0%be%e9%83%bd%e5%a4%9a%e6%9c%ac%e7%a5%9e%e7%a4%be_YN5286x9702222764751880317~&cp=34.498672~135.815018&v=2&sV=1

朝に夕・・・東西?
「綏靖天皇」は朝に夕に人間を7人食べていた。http://rapt-neo.com/?p=27562


喪 ソウ・も・うしなう  口部  https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/9da18a3b459ac1fae32ec319a02576ef

「道」
「器」(道具)
一陰一陽の流動変化そのものを「道」とよび、それが現象面に形となって以降のものを「器」(道具)とよぶ。時間的な先後をいうのではなく、「器」を離れて「道」はない。易の「卦」「爻」「辞」も、一陰一陽の「道」が形となって現象した「器」であると考えられる。

口(鴨川の渡し?)ー北大路道ー口(高野川の渡し)
下鴨神社https://www.bing.com/maps?&ty=18&q=%e4%b8%8b%e9%b4%a8%e7%a5%9e%e7%a4%be&ss=ypid.YN5286x13388348181610341091&ppois=35.0382499694824_135.772445678711_%e4%b8%8b%e9%b4%a8%e7%a5%9e%e7%a4%be_YN5286x13388348181610341091~&cp=35.03825~135.772446&v=2&sV=1

下鴨神社境内案内図http://tabiseto.com/simogamokeidaiguidemap.html

日本國の裏支配を行う闇の権力者は下鴨神社 の裏神官大烏であって ... る即位と同時期だといわれます、(岩田 明著前掲書p.136)。彼らはいずれも龍蛇神を崇拝する点で共通しています 。https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1043
 

RE: 狭井河よ

 投稿者:山田  投稿日:2018年 6月18日(月)16時32分34秒
返信・引用
  >・・乃ち將に當藝志美美(たぎしみみ)を殺さんと爲し時に、神沼河耳(かむぬなかわみみ)の命、其の兄(え)神八井耳(かむやいみみ)の命に曰く、「那(な)泥(ね)【此の二字は音を以ちてす】汝命、兵(つわもの)を持ち入りて當藝志美美を殺せ」。 故、兵を持ち入り以ちて將に殺さんとする時に、手足和(わ)那(な)那(な)岐(き)弖(て)【此の五字は音を以ちてす】殺すことを得ず。 故、爾くして其の弟(おと)神沼河耳の命、其の兄の所持てる兵を乞い取り、入りて當藝志美美を殺しき。 故、また其の御名を稱えて建沼河耳(たけぬなかわみみ)の命と謂う。
 爾くして神八井耳の命、弟建沼河耳の命に讓りて曰く、「吾は仇(あた)を殺すこと能わず。汝命は既に仇を殺すことを得つ。故、吾は兄と雖えども上と爲すこと宜しからず。是を以ちて汝命は上と爲りて天の下治せ。僕は汝命を扶(たす)け、忌人(いわいびと)と爲して仕え奉まつらん」。

伊波禮毘古命と伊須氣余理比賣の子は、三人。

「・・日子八井(ひこやい)の命、次に神八井耳(かむやいみみ)の命、次に神沼河耳(かむぬなかわみみ)の命【三柱】。 」

當藝志美美殺害に際し、長男の日子八井(ひこやい)の命は、何故、表に出てこなかったのか?

二男がたじろぎ三男が手を下す。乙巳の変の構図と似てまいか?
 

・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 6月17日(日)19時38分7秒
返信・引用
  狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす

○大神神社から広く立派な石畳だった山の辺の道は、狭井神社を過ぎると再び狭い山道に戻る。その道をしばらく進むと狭井川に差し掛かる

・・

○哭沢女命

・・イザナミが火の神であるカグツチ(迦具土神)を産むと陰部に火傷を負って亡くなる。「愛しい私の妻を、ただ一人の子に代えようとは思いもしなかった」とイザナギが云って、イザナミの枕元に腹這いになって泣き悲しんだ時、その涙から成り出でた神は、香具山の麓の丘の上、木の下におられる。この神がナキサワメである。

畝尾都多本神社に泣沢という井戸があり、その井戸が御神体として祀られている。この事から、ナキサワメは大和三山の一つである香具山の麓の畝傍から湧き出る井戸の神様ということになる。  wikiより

・・湧水は涙なんだ

・・

○兌

兌とは、易における八卦の一つ。?。方角としては西を表し、沢や少女を表す。また六十四卦の一つ(兌為沢)

・・少女でもある。
 

・・勧進

 投稿者:山田  投稿日:2018年 6月17日(日)13時08分39秒
返信・引用
  ・・松岡心平氏の図式を借ります。

古代  八世紀中頃 東大寺大仏建立 聖武天皇>行基=官主導
中世 ①十二世紀末 東大寺大仏再建 後白河法皇<重源=民主体(中世的勧進の原型)
   ②十三世紀中頃 興行型勧進の成立
           勧進の隆盛
   ③十三世紀末 勧進聖の芸能化(一遍・自然居士)
   ④十四世紀初 芸能の勧進興行への参加
   ⑤十四世紀後半 複式夢幻能の成立
近世        勧進聖の乞食化


中世の西行は重源と同期、近世の木食弾誓、但唱、円空は勧進聖の乞食。芭蕉は勧進聖であったかどうか、乞食か?

・・
 

・・

 投稿者:かぐやまの花こ  投稿日:2018年 6月16日(土)14時11分44秒
返信・引用 編集済
  木食弾誓の即身仏(ミイラ)は京都左京区の阿弥陀寺にある。
(1552-1613)
北緯35度08分17.62秒 東経135度49分40.28秒

相模の浄発願寺は弾誓の開山。天台宗弾誓派総本山。

・・大山に自転車で行ったとき、この近くを走ったはずだが。

「弾誓上人の誠の修行に心を打たれた徳川家康公は渇仰のあまり自ら当山に進臨し給うて、弾誓上人の薪、水の用にと一之澤、二之澤の山林を与え深い帰依の誠を示されました。そして関東代官頭である伊奈備前守をして手厚い保護を与えました。」

・・天海が木食但唱を遇したのは家康の影響か?いや天海の影響で家康は弾誓を拝したか。

伊奈備前守の暗躍はここにもある。

「慶長13年(1608)、弾誓は相模を後に京都へ向かいます。
途中の村々で勧化をしながらの旅でした。
家康と信玄の見方ケ原合戦での戦死者の霊を沈めるため遠州で行った融通大念仏には、生き阿弥陀如来弾誓に結縁を願う大群衆が押し寄せたと絵詞伝は伝えています。」

・・この事実があったとすると、家康の信心の方が先ですな。

・・

京都上京の阿弥陀寺は信長ゆかりだが、五升庵蝶夢の墓がある。
 

Re: ・・大仏

 投稿者:吾亞風  投稿日:2018年 6月14日(木)10時27分11秒
返信・引用
  > No.3729[元記事へ]

かぐやまの花こさんへのお返事です。

それは佐渡から始まった―木食弾誓とその後継者たち
虫倉山、弾誓寺(大町市)、雲照院(松川町)(廃)、百瀬の昌念寺(松本市寿中の正念寺)、西善寺(松本市和田境)、唐沢阿弥陀寺(諏訪市)、万治の石仏=弾誓の50回忌供養塔(諏訪)、箱根塔ノ峰の阿弥陀寺、一の沢浄発願寺、古知谷阿弥陀寺(京https://blog.goo.ne.jp/fuw6606/e/89ec964de936fdc8fc965998426fd250
善光寺から、彼は虫倉山の尾根伝いに西へと向かいます。
山岳修験者の弾誓は、こうした山人たちと昵懇の間柄でした。
弾誓や二代目但唱が金属鉱山に詳しい「山見わけ」であったのも、山人たちとの交流によるものです。
普通、弾誓らは里人が知らない山道を通ります。

鉄の靴を履いて箱根と伊勢原の山中を、日々、往復していたなんて、ますます信じられない。

金北山(佐渡市)
佐渡島の金北山は佐渡金山のことです。なお、富山市羽根と石川県鳳珠郡能登町羽根は別です。 「羽根ライン」は位山(東経137度11分)を中心としたレイラインです。https://ameblo.jp/agnes99/entry-12302011107.html

善光寺レイラインの記述がありました。https://ameblo.jp/ponopia/entry-12263546477.html
古代の信州は 物部氏やら大伴氏やら渡来人やら なんだか賑やかで楽しい。
そしてミステリアス



> ・・
> 1636年、江戸高輪に五智如来の大仏を造った木食但唱。生地は摂津国多田郷(兵庫県三田市)。天正七or九年(1579or1581)生。
>
> 天正地震 天正十三年(1586)
> 秀吉発願、京の大仏 1586年~1595年造立。1596年慶長地震により倒壊。1596~1605~1615
>
> 木食但唱 慶長元年(1596)佐渡に渡る。檀特山の弾誓に入門。
>
> ・・
> 江戸の五智如来は芭蕉も見ているはずだが。
 

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