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五十鈴…「魚」を意味し「50」の数価をもつヘブライ語?

 投稿者:吾亞風  投稿日:2019年 8月17日(土)14時55分48秒
返信・引用
  五十鈴川とは (イスズガワとは) https://dic.nicovideo.jp/a/五十鈴川
「御手洗場(みたらしば)」

御手洗(みたらし)とはオリオンの三つ星を指す言葉でもあり、決してトイレのことではないのだす~。http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1750993.html
※註 トイレに入った後に手を洗いますが、これは神社の入り口にある御手洗と同じでこれが語源。また、京都下鴨の御手洗池のほとりで売る団子が「みたらし団子」ですが、「団子」とは本来は三つ星を串刺しの団子に見立てたものが由来であり、下鴨の場合、人体に模して5つ玉とした。

「実は天狗はユダヤ人だった!」・・・・・https://blog.goo.ne.jp/sammykei/e/79d9abeb18b276aad301d628c49b5f35

五十鈴川御手洗
伊勢神宮「内宮」 参拝~ユダヤとの関係は?~http://japantemple.com/2015/07/14/post-164/
五十鈴川御手洗 倭姫命も身を清めるのに使用したという場所です。ここでは正宮へ行く前に神聖な川である「五十鈴川」に手を浸し身を清めるのが伝統的なならわしですだといいます。

…復活のイエスと…復活のイエスと魚との図像的結合は,こうした物語伝承を背景に成立したということができる。また魚は,キリスト教典礼の一つである洗礼との関連においても用いられるが,これは暗黒の水中深く姿を隠し,再び水面にあらわれ出る魚類の生態にちなんで,暗い死の国から脱出し明るい復活の人生を歩もうとするキリスト教徒を意味している。最古の用例としては,テルトゥリアヌスの《洗礼論》があるが,同様の用例は,すでにアレクサンドリアのクレメンスの著作など初期キリスト教文学に見いだされる。…との図像的結合は,こうした物語伝承を背景に成立したということができる。また魚は,キリスト教典礼の一つである洗礼との関連においても用いられるが,これは暗黒の水中深く姿を隠し,再び水面にあらわれ出る魚類の生態にちなんで,暗い死の国から脱出し明るい復活の人生を歩もうとするキリスト教徒を意味している。最古の用例としては,テルトゥリアヌスの《洗礼論》があるが,同様の用例は,すでにアレクサンドリアのクレメンスの著作など初期キリスト教文学に見いだされる。…
魚…五十
(N / Nun (ヌン / ヌーン)) 「魚」を意味し「50」の数価をもつヘブライ語アルファベット。
ケベス 耶蘇の家? 「50」の数価  五十タケル?https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/117
蘇我氏の「蘇」と伊蘇タケル(五十タケル)の「蘇」と伊蘇国(前項参照、日本書紀編纂 時点で伊都国となまった国、博多の古名、五十タケルの国)の「蘇」とは同じ繋がりが あるのではないでしょうか。これから徐々に考察していきます。 ...
http://www.geocities.jp/ojyaru_24/sitateru.html
博多こそ、スサノオ(蘇氏の王)→五十タケル(伊蘇健)と繋がる、蘇我氏のルーツかもしれません。
 
 

RE:み篶刈

 投稿者:山田  投稿日:2019年 8月12日(月)12時51分58秒
返信・引用 編集済
  賀茂 真淵(かも の まぶち)は、江戸時代中期の国学者、歌人。
元禄10年3月4日(1697年4月24日)-明和6年10月30日(1769年11月27日)
遠江国敷智郡浜松庄伊庭村
「賀茂真淵は荷田春満を師とし、『万葉集』などの古典研究を通じて古代日本人の精神を研究し、和歌における古風の尊重、万葉主義を主張して和歌の革新に貢献した。」


「み篶刈信濃乃真弓」は真淵の創案。

駒ヶ根大御食神社に伝わる「美しの杜社伝記」は明治二年落合直澄が神代文字を翻刻解読した。

美鈴刈る信濃ノ ミスズカル信濃ノ この翻刻表記が正しければ、①万葉古文献以前にミスズカル表記は存在したか?もちろん真淵万葉考以前。②真淵が社伝記をすでに解読していたか?それはないだろう。③社伝記の作者が真淵万葉考を読んでそれに合わせた表記を選んだか?

おそらく③であろう。

http://atinomiya.life.coocan.jp/binran5-kaisetu.html

  *

美篶村
1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県伊那郡芦沢村・笠原村・大島村・川手村・青島村・末広村が合併して美篶村となる。
 

Re: み薦刈る

 投稿者:山田  投稿日:2019年 8月11日(日)10時44分34秒
返信・引用
  > No.4024[元記事へ]

山田さんへのお返事です。

み篶刈
落合直澄まで古代文字の解読時に『美鈴刈る』とやってる。
単純に賀茂真淵に随順しただけと思うが。

https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/1790/?fontsize=3&reverse=1&TEACUPRBBS=02b5381024cd398b2fe29893ab7b715a

> 96
> 久米禅師娉石川郎女時歌五首
>
> 水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人<佐>備而 不欲常将言可聞 [禅師] 巻二
> み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人さびていなと言はむかも 96
>
> 三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強<佐>留行事乎 知跡言莫君二 [郎女]
> み薦刈る信濃の真弓引かずして強ひさるわざを知ると言はなくに 97
>
>
> ・・「み篶刈」としたのは賀茂真淵。誤字誤読でしょう。
>
> ミコモカル ○
> ミスズカル ×
>

 

>冬木、時

 投稿者:山田  投稿日:2019年 8月10日(土)11時22分25秒
返信・引用
  秦野先生へのお返事です。

万葉集で「冬木成」は「冬ごもり」と訳します。
冬木は冬になって葉を落とした裸木がイメージでしょう。しかしながら和歌的解釈では梅と特定するようです。・・そのまま柊(ひいらぎ)とする人もまれにいるかな。

時というのは新解釈ですね。

ファ将軍の論法でいくと万葉の頃は縄文人はすべて駆逐されて存在しないようですから、万葉の歌には縄文の情念はすこしも反映がないのでしょうか?
 

み薦刈る

 投稿者:山田  投稿日:2019年 8月 9日(金)12時10分38秒
返信・引用
  96
久米禅師娉石川郎女時歌五首

水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人<佐>備而 不欲常将言可聞 [禅師] 巻二
み薦刈る信濃の真弓我が引かば貴人さびていなと言はむかも 96

三薦苅 信濃乃真弓 不引為而 強<佐>留行事乎 知跡言莫君二 [郎女]
み薦刈る信濃の真弓引かずして強ひさるわざを知ると言はなくに 97


・・「み篶刈」としたのは賀茂真淵。誤字誤読でしょう。

ミコモカル ○
ミスズカル ×

梓弓 引者随意 依目友 後心乎 知勝奴鴨 [郎女]
梓弓引かばまにまに寄らめども後の心を知りかてぬかも  98

梓弓 都良絃取波氣 引人者 後心乎 知人曽引 [禅師]
梓弓弦緒取りはけ引く人は後の心を知る人ぞ引く 99

・・

阿豆佐味天神社  瑞穂町

御祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)
素戔鳴命(すさのおのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
延喜式内多摩八座に一つで、寛平四年(892)従五以下、上総介高望王の創建と伝う。その後、天正十二年、慶長三年の修復を経て、享保年間(1716-36)当地方の豪族村山土佐守により、社殿の修復が行われた。…

N35度45分59.93  E139度21分53.41
 

「アシ(葦)、ヨシ」…

 投稿者:吾亞風  投稿日:2019年 8月 7日(水)23時02分29秒
返信・引用
  エジプトの絵文字ヒエログリフによると、i音とy音は「=葦」で表される。葦が一本だとi音で、二本合わさっただとy音である。
葦 「韋イ」 <まわりをめぐる>
「まわりをめぐる」 (韋・衛・囲・葦)、 「 行ったり来たりする」 (緯・違) 韋駄天から 「すぐれる」 (偉)、http://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/81cc6700ba1d6c07d53f963816600ee5
音符 「韋イ」 <まわりをめぐる>
韋 イ・なめしがわ  韋部
解字 甲骨文字と金文は、「進む足+囗(城郭)+進む足」の会意。城郭の上下に左右逆向きの足を加えて、城郭を守備のため巡回する形を表わす。韋は、ぐるぐるまわる意から足の速いと俗伝がある韋駄天に当てる他、なめし革の紐がぐるぐる巻かれるイメージから、なめし革に仮借カシャ(当て字)される。韋は、音符で用いられるとき、城郭をまもるため、「まわりをめぐる」「行ったり来たりする」イメージがある。
意味 (1)なめしがわ(韋)。「韋編三絶イヘンサンゼツ」(書物の革の綴 じ紐が三度も切れるほど熟読すること) (2)韋駄天イダテンは、バラモン教の神でシバ神の子とされ、伽藍を守る神。また足が速いとの俗伝がある。「韋駄天イダテン」(足の速い人)
イメージ  「まわりをめぐる」 (韋・衛・囲・葦)、 「行ったり来たりする」 (緯・違)
       韋駄天から 「すぐれる」 (偉)、 「同音代替」 (諱)
音の変化  イ:韋・囲・葦・緯・違・偉  エイ:衛  キ:諱
まわりをめぐる
衛 エイ・まもる  行部
解字 「行(ゆく)+韋(まわりをめぐる)」 の会意形声。外側を巡回し、中を守ること。
意味 (1)まもる(衛る)。ふせぐ。「衛兵エイヘイ」「衛生エイセイ」(生命をまもる)「親衛シンエイ」(天子・国家元首などの身辺を護衛すること) (2)まわる。「衛星エイセイ」(惑星のまわりを公転する星)
囲[圍] イ・かこむ・かこう  囗部
解字 旧字は圍で、「口(かこい)+韋(まわりをめぐる)」 の会意形声。まわりを巡って守備している城を外からかこむこと。城を攻める時、包囲する形をいう。新字体は、旧字の韋が井(井戸枠)に変わった。
意味 (1)かこむ(囲む)。かこう(囲う)。とりまく。「包囲ホウイ」 (2)まわり。「周囲シュウイ」 (3)かぎり。境界。「範囲ハンイ」
葦 イ・あし・よし  艸部
解字 「艸(草)+韋(まわりをめぐる)」 の会意形声。水辺をめぐるように生える背の高い草。
意味 あし(葦)。よし(葦)。イネ科の多年草。水辺に自生し高さ約2メートルになる。茎はまるく、スダレやヨシズの材料となる。アシは悪し、に通じるとして、ヨシとも呼ばれる。「葦簀よしず」「葦笛あしぶえ」「葦席イセキ」(あしで編んだむしろ)「葦汀イテイ」(葦のはえている水ぎわ)

行ったり来たりする
緯 イ・よこいと 糸部
解字 「糸(いと)+韋(行ったり来たりする)」 の会意形声。機織りで布を織るとき、横に行き来する糸。
意味 (1)よこいと(緯)。「緯糸ぬきいと」⇔ 経糸(たていと)。 (2)よこ。東西の方向。「緯度イド」(赤道に平行して地球の表面を南北に測る基準)「北緯ホクイ」「南緯ナンイ」「緯線イセン」
違 イ・ちがう・ちがえる  之部
解字 「之(すすむ)+韋(行ったり来たりする)」 の会意形声。行くほうと来るほうが異なる道を行くこと。行き違いになること。転じて、ちがう・そむく意となる。
意味 (1)ちがう(違う)。異なる。「違和感イワカン」「相違ソウイ」 (2)たがう。そむく。「違反イハン」「違約イヤク」
 

湖風(みなとかぜ)寒く吹くらむ 津乎(つお)の崎はも 若(わか)湯座(ゆえの)王(おおきみ) 

 投稿者:吾亞風  投稿日:2019年 8月 7日(水)22時35分9秒
返信・引用
  湖風(みなとかぜ)寒く吹くらむ 津乎(つお)の崎はも 若(わか)湯座(ゆえの)王(おおきみ) 巻三352 *1
「道の辺(べ)のうまらの末(うれ)に這(は)ほ豆のからまる君を 別(はが)れか行かむ」
わけ【別】
(1)上代東国方言と考えられる。
(2)用例の歌の序詞の意から「波可礼」を「ハガレ」と読み「剥ぐ」の自動詞と解し、無理やりに引き離される意とする説もある。
古代日本における有力者の称号の一つ。和気,和希,獲居,和居とも表記され,統治権を分かちあうという意から出た称号で,5世紀以前の王(天皇),地方首長がひとしく名の下につけていた。別の称号のもっとも古い用例は,埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した鉄剣銘文の中にみえる〈弖已加利獲居〉〈多加披次獲居〉などの人名に付けられている〈獲居〉である。《古事記》《日本書紀》および《和気系図》などの古系図にみえる人名に付けられている別を分析すると,別の称号は応神天皇であるホムダワケ(誉田別)のような人名が天皇の名前から消えていくことと並行して,地方豪族の人名にもみられなくなり,そしてそれに代わって天皇は〈大王〉,諸豪族は〈臣〉〈君〉〈直〉などのカバネ的称号を称するようになるのが5世紀後半からであったことが知られていた。
和気…
和気広虫(わけのひろむし)は法均尼(ほうきんに)ともいわれます。弟の和気清麻呂の方が有名かもしれませんが、清麻呂よりも先に出世して宮中で高い地位についた女官です。https://rekishi.sseikatsu.net/wakenohiromushi/

【桓武天皇】より
…その後も和気清麻呂らを中心に造営事業が続けられた。次に後者は,光仁朝末期の780年(宝亀11)陸奥国上治郡の大領伊治呰麻呂(いじのあざまろ)が反乱を起こして以来,大伴家持,紀古佐美(きのこさみ)らに率いられる征討軍は鎮定の功をあげることができず,ことに789年には蝦夷の将阿弖流為(あてるい)のために1000人余の死者を出して大敗するありさまであった。しかし天皇は渡来人系の坂上田村麻呂を抜擢して征夷大将軍とし,その巧妙な戦略によって801年(延暦20)奥地の胆沢地方まで平定できた。…https://kotobank.jp/word/阿弖流為-425786

真備と清麻呂、光仁・桓武天皇の同時代人 吉備真備と和気清麻呂は同国(県)人です。https://ameblo.jp/seishinbunsekigakukoza/entry-10314284404.html

因幡の大伴家持 759年正月、大伴家持は因幡守として因幡国(鳥取)の国庁にいました。 「おめでとうございます」「おめでとうございます」 しんしんと降るしきる雪の中、因幡国庁には新年の祝いに、たくさんの人が訪れます。https://history.kaisetsuvoice.com/Manyousyu.html
真備は仲麻呂にうとまれ、地方官に左遷されます。58歳遣唐副使として藤原清河や大伴古麻呂など共に再び唐に渡ります。https://ameblo.jp/seishinbunsekigakukoza/entry-10314284404.html
和気清麻呂は712年吉備国上津道、旭川と吉井川に挟まれた藤野郡に生まれました。家系は新興の地方豪族です。地方豪族は朝廷に一族を舎人(男子)や采女(女子)として貢進します。清麻呂は右兵衛少尉に叙せられます。天皇の親衛隊です。ほぼ同時に姉の広虫も天皇の侍女になります。姉弟はそろって天皇の私的空間に近侍する身になりました。34歳近衛将監・従5位下になります。
なぜ彼が桓武天皇の時に登用されたのでしょうか?桓武天皇は天智天皇の曹孫であり、天皇の母親は帰化人系です。
摂津・河内・そして山城には多くの帰化系豪族が住んでいました。津、和(やまと)、大江、百済王(くだらのこにしき)、坂上、菅野、そして秦などの氏族です。彼ら帰化系豪族は、技術と財力を持ち、未開地を開拓してその地方で隠然たる力を持っていました。桓武天皇は新都を建設する事により、母系を通じて帰化系豪族を始めとする、新興豪族の力を結集して、政権の推進力にしたかったのです。
和気清麻呂はこの豪族集団の、中心でありまとめ役でした。彼の出身地である吉備地方は早くから開け、そこには帰化系豪族も住んでいました。代表が秦氏です。

兵部省(ひょうぶしょう)兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)
大伴家持は、天平勝宝七歳(西暦755年)、兵部省(ひょうぶしょう)兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)に任ぜられ、防人(さきもり)の召集事務の担当者となりました。
大伴家持-防人歌(さきもりのうた)https://ameblo.jp/jkkwf703/entry-12179603471.html
兵部省…
諸国牧は、兵部省が所轄する牧http://8906.teacup.com/toraijin/bbs
兵部省
測量や地図の作成
現在、三輪山と呼ばれている山は、もともとは違う名前であったが、もともとの三輪山と名前をすり替られて可能性が高いこと、もともと二輪山、三輪山(美濃輪山 みのわやま)と呼ばれた山は三角点の山であったが、名前を公式の地図上では抹殺されていること、現在の三輪山は内川の源流域の山であり、もともとの三輪山は犀川の源流域であること、三輪山の名前の由来は、中央に三輪山、向かって左に挙原山、右に水葉山が三つ並んでいる三峰山であることからくるのではないかということなどがわかった。
測量や地図の作成は、明治期から内務省、工部省、兵部省で行なわれていたが、次第に兵部省の参謀本部にまとめられていく。当初は陸軍参謀局間諜隊諜報係が偵察のほか、地図の作成も行なっていた。
[4317]兵部省が所轄 https://8906.teacup.com/toraijin/bbs/mobile/index/detail/comm_id/4317/

 わが国でのノイバラと文学の関わりは、遠く奈良朝時代に遡る。当時、大伴家持らによって編纂された万葉集に宇万良(うまら)と称する植物が登場しており、この正体がノイバラといわれる。バラの和名は、このウマラがマラに変化し、更に訛ってバラになったとされる。その宇万良を読んだのが次の歌。
道の辺(べ)の宇万良の末(うれ)に這(は)ほ豆のからまる君を別(はか)れか行かむ(巻20・4352)
No.84 ノバラ(野茨)
野茨https://www.miyakanken.co.jp/column1/1542
『上品な美しさ』『純朴な愛』『孤独』『才能』『詩』
  実の花言葉:『無意識の美』
「野ばら」は、シューベルトやマクダウェルなど、有名な作曲家たちの曲の題材に取り上げられてきました。このことから、「才能」や「詩」という花言葉がつけられました。また、野に咲く素朴な花のイメージが、「純朴な愛」の由来となっています。
名前の由来
山や野原など「野」に咲くこと、茎にトゲがある「茨」をもつことにちなんで、野茨(ノイバラ)と名付けられました。

キリストイバラかシラーでキリスト の茨の冠がつくられたことは間違いないであろう。 http://dorosya.net/034/syokubutu.html
いばらの冠にはさらに象徴的意義が含まれています。アダムとエバが罪を犯したとき、悪と呪いを世界にもたらしましたが、人類にもたらした呪いの一部は「、、土地はあなたのゆえに呪われてしまった。あなたは一生苦しんで食を得なければならない。土地はあなたのためにいばらとアザミを生えさせ、あなたは野の草を食べなければならない。」(創世記3:17-18)ローマの兵士は、知らずに呪いの対象を取って冠に編み、その呪いから私たちを開放してくださるお方にかぶせたのです。 「キリストは私たちのためにのろわれた者となって、私たちを律法ののろいから贖いだしてくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべて呪われる』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13) キリストは完全な贖いのためのいけにえとして罪の呪いから私たちを贖いだしてくださったのです。いばらは呪いの象徴なのでした。 あざけりのための物だったのですが、一方いばらの冠は、事実イエスがどういうお方で、何を達成するために来られたかを象徴する最高の物なのです。
 

>マコモは、縄文人たちの日常食だったのよ。

 投稿者:山田  投稿日:2019年 8月 7日(水)11時50分55秒
返信・引用 編集済
  ・・昔は日本中の村や川には、ヨシやアシと一緒にどこにでも生えていて、葉はお茶にするだけで、血液の浄化と細胞の活性化になるし、マコモタケは繊維が多く、腸の煽動運動を起こし便秘を解消するのよ。マコモは聖なる霊草で、出雲大社では神事や祭事にマコモを敷くし、お釈迦様は多くの病人にマコモ茶を飲ませたり、葉で編んだ布団に寝かせた話は有名よ。

http://npomedaka.net/yoko/%E6%81%90%E3%82%8B%E3%81%B9%E3%81%97%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%81%AE%E6%B5%84%E5%8C%96%E5%8A%9B

・・
近年こんなに注目されてるとは知らなかった。

ハナカツミ

みちのくの あさかのぬまの 花かつみ かつ見る人に こひやわたらむ(巻第14恋歌4・677 読人不知) ...

ここが一番古いか?

芭蕉は意外とお調子もの。

・・追

をみなへし佐紀沢(さきさは)に生(お)ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも

万葉巻四(六七五) 中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴宿禰家持(やかもち)に贈った五首の恋歌の一首。

こちらが古い(汗)
 

春日を過ぎ 嬬籠る… 籠目…

 投稿者:吾亞風  投稿日:2019年 8月 7日(水)06時14分54秒
返信・引用
  奈良時代、シルクロードの終着点として栄えた日本の古都、平城京。その守り神となるべく、春日大社はおよそ1300年前 .
春日大社のレイラインhttp://www.historyjp.com/article.asp?kiji=259
春日大社のレイライン 古代の英知を結集して特定された藤原一族の聖地

春日宮天皇妃陵
太陽の道を検証する(1)https://blog.goo.ne.jp/tonmana-angler/e/9064e025cee4fba2bb50c68ca7e47594
至伊勢斎宮、天満社裏山遺跡、春日宮天皇妃陵、天神山山頂、巻向山山頂南方台地、桧原神社、国津神社、箸墓、須賀神社、菅原神社、日大御神社、稲荷社、穴虫峠、至伊勢の森

春日大社の藤と、春日大社とレイラインというのも、外せないようなんですね。
稲荷祭から出迎えられましたhttps://ameblo.jp/heartbeat-color/entry-12458966812.html
 

マコモ

 投稿者:山田  投稿日:2019年 8月 6日(火)18時22分57秒
返信・引用
  ・・
石上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日 春日を過ぎ 嬬籠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉椀に 水さへ盛り 泣き沽ち行くも 影媛あはれ

薦枕(こもまくら) 「高」の枕詞 薦で編んだ枕は普通の枕より高い

・・
芭蕉が浅香の沼でさがした「カツミ」とはマコモのことだ。

こも 菰(薦) 真菰 →花カツミ

「菖蒲なくばカツミで葺け」と云ったのは、藤原実方。

・・
マコモの新芽に黒穂菌が感染するとマコモタケに生成。この食材は美味。

八月以降武蔵野の湿地で探してみよう!
 

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